こんにちはトヨクニです。今回は二連木城(にれんぎじょう)について書いてみようと思う。この城は2017年4月頃に行ったかな?場所は愛知県豊橋市仁連木町で現在は公園になっていた。それなりに大きな公園なんだが専用の駐車場が無いので路駐するしかないのだが周辺は閑静な住宅街になるので停め方には注意した方がいいかもしれない。
二連木城は1493年(明応二年)に戸田宗光によって築かれた平山城である。この少し東の場所に吉田城があり、城の規模から吉田城の支城扱いされているが、築城されたのは二連木城の方が早く、その吉田城も当初はそれに対抗する為に築かれたモノらしく、この当時は周辺豪族たちの激しい争奪戦が繰り広げられたようだ。
桶狭間の戦いで今川義元が戦死し、その後急速に台頭してきた松平元康(徳川家康)が三河地方を制圧した頃には完全に吉田城の支城扱いとなってしまう。1570年頃から武田家との戦争が本格的に始まり武田軍が三河地方に侵入してくると、この二連木城も攻撃に晒され落城の憂き目遭う。因みに吉田城の方も同時期に攻撃を受けたが、こちらは堅城だったためか何とか撃退に成功している。その後、武田軍はすぐに撤退したので城はすぐ徳川軍に奪回された。二連木城って立ち位置的には吉田城の支城になるのだろうか?
1590年に家康が関東に転封となり、代わりに池田輝政が入封すると吉田城の拡張整備が始まる。そしてすぐ近くにある二連木城は不要と判断され廃城となってしまった。この頃になるとこの地域も戦乱の時代から復興平和へと向かっていたので純軍事施設的なこの二連木城も不要と判断されたんだろうな。
大口公園となってる所が本丸跡になる。最初にも書いたが、駐車場は無いので南側にある路地に今回は路駐させてもらう、まぁ道幅も広いのでよっぽど邪魔にはならんだろ。公園入口に石碑があり、裏側には城の歴史について書かれていたプレ-トが貼られてあった。詳しく書かれていてわかりやすかったね。他の城跡もせめてこの位の案内板を立ててもらいたいもんだわ。公園内はそれなりに広かったね庭園風な所と遊具施設のある児童公園などに区分けされていた。少し離れた所には野球場もあっただろうか。訪問した時間帯が早かったためか人気は全然なかったな
本丸跡を探索してみる。すぐに案内板があり、城のことについて詳しく書かれていた。古地図も掲載されており、見てみると城郭のすぐ近くを流れる川があるのが分かる。朝倉川だろうか?現在の流路と少し異なるみたいだが?
二の丸跡とされる所には福祉センターが建っていた。建物周辺を歩いてみたが、整備されていて郭らしき痕跡は見当たらなかったね。案内板によると、二の丸に隣接する曲輪があったそうだが、その辺りは完全に宅地化されていたよ。
本丸と二の丸の間に通路があり、それを下って行くと広場に出るのだが案内板によると、そこは蔵屋敷の跡になるようだ。蔵屋敷なんで武具や兵糧の貯蔵庫になるのだろうか?あと通路の部分が窪んでいるのだが、他のサイトの情報によると、空掘りの跡になるらしいね。そんな訳で・・・
攻略難易度★
ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_