もう18年も経つか

OSSANのボヤキ

おはようございますトヨクニです。この日は土曜日で休みなのだがヨメが仕事なんで送迎する事になった。その後は自宅に戻る前に病院行って痛風の薬を貰いに行くのだが、まだ時間が早いので近くのコンビニ駐車場で缶コーヒーなんぞをすすりながらコレを書いている。

何書くか考えていたのだが、ふと今の会社に勤めてから何年経ったのか?そんな事を考えてしまったので、それについてグダグダと書き記して見ようと思う。

ここに入社したのは何時だったかな?正確な年月日は覚えていないが確か30歳になる直前だったような気がする、厚生年金の一覧表でも見れば分かるのだろうが外出中だし調べる気も起きない。それで今年48だからもうすぐ勤続18年となる訳か…勤務地はコロコロと変えさせられたが、基本的に仕事の内容は全く変わらず生活の為とはいえ考えて見ればよくもまあ18年も続いたなと我ながら感心してしまうよ。因みにヨメの方は勤続22年目なんだけどな

賃金は相応だとは思うが労働環境に関して言えば決して良いとは言えないのだよな。この業種って離職率は結構高かったような気がする、俺が入社した後も何人か新人が来たのだが多くの人間が脱落していった。ここ最近は人手不足の様相を呈しているがこれは何もうちの会社だけでなく業界全体でこのような感じになっている。作業自体はキツくはないし誰でも出来る仕事内容なんだが拘束時間がどうしても長くなりがちかな?客と話すこともあるので、ある程度のコミュニケーション能力も必要になんだよな。こればかりは今流行りのAIとか外国人労働者にやらせるのはちょっと無理があるんだよな。

そんなちょっとブラック気味であるこの仕事を当時実家に寄生しており今まで転職を何度も繰り返してきた、所謂「子供部屋おじさん」状態だったこの俺が何故ここまで続けれたか?この当時はちょっと追い詰められた心境にあったからかな、30を目前に控え未だに定職に就けない状況だったからね。心の奥では何となく危機感を抱いていたのさ。

その気?になれば実家でぬくぬくニート生活も可能だったし、当時もそれに近い感じだったのだけどさ、僅かながらに残されていた面子というか自立心みたいなのがそれを許してくれなかった。そこで働くようになってから半年ほどで一人暮らしも始め、無事に子供部屋おじさん状態から脱却できた訳さ。

入った当初は前任者が精神疾患気味だったのでロクな引継ぎ作業も出来ないまま、とんでもないロケ数を振られ一時期は土日も返上してル-トの立て直しを図ったものさ。今思えばよくこんな事やってたなぁ・・・だがこれを乗り切れたおかげで今後も続く数々の理不尽な出来事を柔軟にこなせる事が出来たのだろうよ。

あぁそれと初めて痛風を発症したのもこの頃だったなぁ、あの当時はまだ若かったし痛みもそれ程酷くなく少し足の指が腫れ上がる程度だったので、すっかり油断してしまったよ。まさかこの後何度も発症し現在に至るまでの持病になるなんてな、これについては俺が悪いのだけどさ

相撲で言えば土俵際まで追い込まれながら火事場の馬鹿力でようやく土俵中央まで押し返した感じか、俺の戦いはまだ続く・・・

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