一色城に行ってきた話(城跡巡りFile.88)

三河の城

おはようございますトヨクニです。今回は愛知県豊川市牛久保町に在ったとされる一色城(いっしきじょう)について書いてみようと思います。こちらに訪問したのは2021年6月になります。すぐ近くに以前に訪問した牛久保城がありますね。地図で示すとこの辺りになります↓↓↓

サイトからの情報によりますと一色城は1439年(永享十一年)に一色時家という者が築城させたそうです。時家は関東公方・足利持氏の家臣でしたが後に持氏が起こした「永享の乱」の後に三河地方に逃れて城はこの時に築かれたと言われています。その後しばらくは時家が居城していたようですが1477年(文明九年)に家臣の波多野全慶が反乱を起こし時家は殺害されてしまい、城も全慶に奪われてしまいます。しかしその全慶も1493年(明応二年)に同じく時家の家臣であった牧野古白との戦いに敗れて戦死してしまい一色城には古白が居城するようになりました。

古白が1505年(永正二年)に吉田城を築かせてそこに移り住むと、一色城には次男の牧野成勝が居城しましたが、古白の命令で1529年(享禄二年)新たに牛久保城が築城されると一色城は不要と見なされたのかそのまま廃城となったようです。現在は「大聖寺」が建立されており、その敷地内に土塁の一部と一色時家の墓が残っています。あと城との関連性は不明ですが「今川義元の胴塚」と呼ばれる祠がこの境内に建立されています。

こちらも車で訪問したのですが、周辺に停めれそうな場所が無かったので牛久保駅のロータリ-の所に路駐させてもらい大急ぎで探索してきました。日曜日の比較的早い時間帯だったので大丈夫だったと思いますが周辺にコインパーキングなども見当たらないので出来ればここは公共交通機関で訪問した方が良いと思います。先に書きましたがここは一色城址と言うよりは「今川義元の胴塚」として有名な場所かもしれません。

現に城主の一色時家の墓は胴塚の脇にひっそりと建っているような感じでしたしね。この場所に胴塚があるのは桶狭間の戦いで首を取られた義元の胴体を家臣が本拠地の駿河まで運ぼうとしましたが途中で遺体の腐敗が激しくなったためにこの地に埋葬されたからだそうです。因みに義元の首塚というモノも桶狭間の古戦場跡にありまして、そちらはかなり前に訪問した事があります。

胴塚の裏手部分が土塁の遺構らしいです。

その時に胴塚の存在も知ったのですがまさかここにあるとは思いませんでしたね。そしてその胴塚の裏手には土で盛り上がっている部分がありますが、これが土塁の遺構らしいです。車の事が気になったのであまり詳しくは探索できませんでしたが、サイトの情報によりますと土塁の遺構は少し離れた場所にもあるそうですよ。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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