久保田城に行ってきた話

三河の城

こんばんはトヨクニです。今回は愛知県額田郡幸田町に存在していたとされる久保田城(くぼたじょう)について書いてみようと思います。こちらに訪問したのはちょうど去年の今頃辺りだったと記憶しています。

サイトからの情報によりますと久保田城が築城されたのは天文年間(1532年~1555年)の頃で、当時この辺りを支配していた高橋氏という豪族が築城主だったそうです。しかしその後、永禄年間(1558年~1570年)に城主だった高橋宗正が徳川家康に対する謀反の噂により城を追放されてしまいました。城を追い出された宗正は近くの大草という土地で神官に転職したそうです。

遠景 単郭に見えるが昔は右の丘と繋がっていたのかも

宗正の後釜として大橋義重という者が城主になりましたが、たぶん家康の家臣なんだろうけど詳しい情報がないので何者かは分かりません。そして1563年(永禄六年)に西三河地方全域を巻き込んだ「三河一向一揆」が発生すると久保田城に一揆軍の武将で石川正敏という者が立てこもり家康に対抗したそうです。この時の義重の動向については不明です。一揆軍に味方して引き入れたのか或いは攻め落とされたのか・・・

ホントは立入禁止です

この騒乱で久保田城を巡る戦闘があったかどうかは分かりませんが、翌年になって一揆軍が敗北するとそのまま廃城になったと言われています。城郭構造も不明ですが小高い丘の上に存在していたようで空堀の遺構が残っているみたいです。

つい最近まで久保田城の跡地には「聞入寺」というお寺が存在していたそうですが、現在は廃寺となり整地され幸田町の町有地になっております。立入禁止の立て札もあり、その前日にはyoutubeで聞いた「怖い話」シリーズで廃寺絡みの話を聞いたばかりだったので進入するのは少しばかり躊躇しましたが好奇心の方が勝り探索してみました。

少し坂を上ると恐らくは境内だったと思われる開けた場所に出ますが、建物類は完全に撤去されていて文字通り何もありませんでした。この辺りが主郭部分なんでしょうね。どうでもいいですが建物類はともかく墓とか骨壺はどうやって処分するのでしょうかね?境内の東側に窪みのような溝があり、たぶんここが空堀の跡だと思われますが当時のモノではないとも言われています。不法侵入な上にちょっと怖かったので長居はせず写真だけ撮ってから早々にこの場から退散しました。そんな訳で・・・

攻略難易度★

にほんブログ村 その他日記ブログ 底辺男日記へ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました