亀山城へ行ってきた話(城跡巡りFile.37)

三河の城

おはようさんトヨクニです。今回は2017年5月に訪問した亀山城(三河国)について書いてみようと思う。ちょっと山奥の方ではあるが、国道301号線沿い道の駅のすぐ隣にある城郭でわりと目立つ所に在る為かウェブ上や書籍での情報もそれなりに存在している。さてどんな感じの城郭なのか?亀山城という名の城は全国に何箇所かあるみたいなんで、ここでは亀山城(三河国)という名称を使うことにする。

亀山城は1424年(応永三一年)に上野国(群馬県あたり?)から移住してきた奥平貞俊によって築城されたと言われている。奥平氏はその後もこの亀山城を拠点にしてこの周辺を支配しており山家三方衆と呼ばれる土豪となった。16世紀に入りこの地方に今川氏や松平(徳川)氏の有力な大名の勢力が及んでくるとそれらの大名家の傘下となる。奥平定能が城主だった1570年頃になると今度は甲斐の武田氏がこの地方に進出して来るようになり、定能も武田氏に従属することになる。因みに定能の息子の一人で後に長篠城主となるのが奥平信昌である。

亀山城遠景

1573年(天正元年)に武田信玄が死去すると、定能は徳川家康の誘いに乗り、武田家を見限って亀山城を放棄してそのまま徳川家の元に走り再び家臣となる。定能が出奔し、1575年(天正三年)の長篠戦役以降に再びこの地方が徳川家の支配下になるまでの間、誰が城主をしていたかは分からない。おそらくは武田家の家臣の誰かだと思うんだけど・・・

時は流れて1602年(慶長七年)に奥平信昌の四男である松平忠明が城主となるが、1610年(慶長一五年)に現在の三重県である伊勢国へ転封になるとそのまま廃城となったそうだ。こんな感じかね

土塁に囲まれた主郭部分

時は流れて1602年(慶長七年)に奥平信昌の四男である松平忠明が城主となるが、1610年(慶長一五年)に現在の三重県である伊勢国へ転封になるとそのまま廃城となったそうだ。こんな感じかね

虎口跡

車で訪問するならすぐ隣りにある道の駅に停めるか、城の北側にも専用の駐車場があるので車の置き場所困ることはないと思う。山城に分類されている亀山城(三河国)ではあるが、山と言うよりは小高い丘に存在している感じで遺構類の保存状態も良く、各種案内板も充実しているので見回るのも楽だった。

二の丸跡

城の周辺はのどかな風景が広がるが戦乱期に武田家がこの地方に進出した頃は最前線だったためかこの城の他にもすぐ北側に武田軍によって築城された古宮城や同じく武田家が支配した頃に築城されたと思われる文珠山城、塞ノ神城などが存在している。

敵対する織田・徳川軍に対する備えもあるが、奥平氏に対する監視の意味もあったんだろうね。信用されてねえなぁ・・・まぁ実際に信玄亡き後にあっさりと武田家を裏切っているんだけどさ。弱小勢力が戦乱の時代を生き残るためだから仕方ないよね、そんな訳で・・・

攻略難易度★

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