五井城に行ってきた話

三河の城

こんにちはノラネコです。今回は2022年4月に訪問した五井城(ごいじょう)について書いてみます。

五井城の歴史

県庁のポータルサイトに五井城について書かれていた。それによると五井城が築城されたのは文治年間(1185年~1190年)頃で源行家(源頼朝の叔父?)という者が築城させたのだそうな。平安時代末期の頃なんでかなり歴史のある城のようだ。

その後はどのような経緯かは分からんが室町時代末期の頃は鵜殿氏が居住していた。その鵜殿氏も松平忠景という者によって滅ぼされ、その後は忠景が城主になりついでに五井松平氏の初代当主となる。その後も忠景の子孫がこの辺りを支配していたようだが、6代目である松平伊昌の時代になって1590年(天正18年)に主君の徳川家康が関東に転封されると伊昌もそれに従った。この頃の五井城がどうなっていたのかは不明だが、五井松平氏の支配が終わった時点で廃城になったのではないだろうか?

五井城の所在地

場所は愛知県蒲郡市五井町という所で地図で示すとこの辺りになる↓↓↓

地図で言うと「長泉寺」の南東辺りに存在していたらしい。印の北側に「御宮池」と呼ばれる溜池があるんだけど、ここが堀の遺構になるそうだ。水堀なのかそれとも廃城になってからそこを溜池として再利用したのかは分からんけど・・・あと昭和後期までは土塁の遺構も存在していたらしいが現在は消滅している模様。

この辺りに五井城が存在していたらしいよ

城に関する案内板などは無いが長泉寺の境内に寺に関する案内板があり、その中に僅かだが五井城の記述があった。

感想

御宮池と児童公園の間にある路地に路駐して周辺を探索してみた。長泉寺にも駐車場はあるのでそこに停めさせてもらっても良いかも。

城郭構造は分からんがすぐ北側が山になっており、地形的に割と小高い場所になるので丘城になるんかね?城があったとされる場所にはデカい石灯篭が建っていたが、たぶん寺絡みで城とは関係ないと思う。南側は住宅地なんだけど石灯篭の辺りは空き地だったんで、もしかしたら昔はこの辺りも寺の一部だったのかもしれない。

堀の遺構とされる溜池

堀の遺構とされる溜池もまぁまぁ大きいし、かつては存在していたらしい土塁も高さが4Mもあったそうなので、それなりの規模は誇っていたのだろうか?詳しい事は分からんのでその辺は俺の勝手な想像なんだけど。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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