佐久城に行ってきた話

遠江の城

こんにちはトヨクニです。今回は静岡県浜松市北区三ケ日町に在ったとされる佐久城(さくじょう)について書いてみようかと思います。こちらに訪問したのは2020年6月頃で前回書いた野地城と同じ日に行きました。地図で示すとこの辺りになりますね↓↓↓

現地の案内板やサイトからの情報によりますと佐久城(別名で浜名城とも)が築城されたのは室町時代初期の1348年(貞和四年)の頃だと言われています。その当時、この辺りを支配していた浜名清政という者が築城させ居住していたそうです。

この浜名氏なんですが平安時代に鵺(ぬえ)退治で有名になった源頼政の子孫ともいわれ、室町時代に入ってからは足利将軍家の側近でもあったらしく歴代の当主は京都にいる事もあったそうです。その後も浜名氏の支配は続き、駿河の今川氏に従属した後もそれは続きます。今川義元が桶狭間の戦いで戦死後も引き続き今川家に従っていたようですが、徳川家康が三河地方で独立すると1568年(永禄十一年)に隣国の遠江に侵攻してきます。

その時の当主であった浜名頼広はそれに対抗するため佐久城に籠り徳川軍を迎撃しようとしましたが、家康は迂回路を通りその先にある浜松地方を抑えてしまいます。これに不安を感じたのか?頼広はなんと僅かな家臣と共に城を捨てて甲斐国に逃走してしまいます。置き去りにされた城兵も徳川軍の降伏勧告を受けいれて開城し、二百年以上にも及ぶ浜名氏の支配は終焉を向かえることになりました。その後は家康の家臣である本多信俊が入りましたが、1583年(天正十一年)に信俊が家康の命令によりここより北の位置に野地城を築城しそこに移り住んだため佐久城は廃城となりました。他にも交通の便が悪いので放棄されたとも言われています。現在はリゾート開発などにより遺構の一部は消滅してしまっているが主郭部分と周辺の空堀や土橋部分は良好な状態で残っております。

先に書きましたが佐久城に行くにはリゾート住宅が立ち並ぶこの地域を突っ切らないといけないので部外者の俺がこの辺りを走るのは少々気まずかったりします。まぁ公道だと思いますので特に何も言われないと思いますがね・・・城の脇に小さな専用駐車場がありますのでそこに停めて探索を開始しました。入り口辺りに案内板と城の見取り図が設置してありました。

そんなに大きな城ではないですが主郭周辺は三方向を湖に囲まれて唯一の進入口は三重の堀と巨大な馬出郭で防衛しています。とあるサイトによりますと家康も一度は攻撃していますが撃退されてしまい、それに懲りたのか敢えて力攻めをしないで先に浜松方面を抑えてから降伏勧告をしたとも書いてありました。馬出郭から主郭までの遺構は素人目から見ても分かるほど良好な状態で残されており当時の城郭構造が何となく分かるような気がします。主郭部分には石碑が建っておりまして他にも井戸跡なんかもありましたね。他にも色んな案内板があり最後は端から浜名湖を望んで探索は終了しました。所要時間は1時間弱という所ですかね、そんな訳で・・・

攻略難易度★

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