傍示本城に行ってきた話

尾張の城

こんにちはトヨクニです。今回は愛知県愛知郡東郷町に存在していたとされる傍示本城(ほうじもとじょう)について書いてみようとおもいますよ。ここに訪問したのは多分7、8年位前だったと思う。

傍示本城が築城されたのは1324年(正中元年)頃と言われ、北条雅時の家臣であった加藤安俊という者が築かせたと言われている。この二人がどんな人物なのか調べてみたけどどちらも詳細は分からなかった。その後も加藤氏の支配が続いていたようだが、室町時代末期にどういう経緯なのかは不明だが一色丹羽氏の者が支配するようになった。

城主の一人に丹羽氏重という者がおり、兄貴の氏次は岩崎城の城主であったが1584年に勃発した小牧・長久手の役では徳川方に味方して出払っており、代わりに氏重が留守部隊として岩崎城に入っていた。その後、豊臣軍による岩崎城への攻撃で氏重は戦死してしまったが傍示本城はその後も存続していたようで氏重の父である氏勝が居住していたようだ。しかし氏勝は1597年(慶長二年)に死亡し、もう一人の息子である氏次も1600年(慶長五年)に別の地域へ転封されてしまったので、傍示本城もその頃には廃城となってしまったようである。

現在は「傍示本公民館」が建っていおり、その建物の脇に傍示本城の石碑が建立されていたが、遺構類などは残っていない。車を公民館の駐車場に停めさせてもらって周辺を散策してみたが、完全に宅地化されているので城の痕跡は見当たらなかった。城の東側に河川があり昔はそちら側が崖になっていたらしく、他の三方向を堀で固めていた城郭構造だったらしい。元々は三河方面からの侵攻してくる敵に対して作られた城なのだろうか?傍示本という珍しい名前だが傍示というのは国境示す意味なんだと。後醍醐天皇の頃、この辺りに傍示が建てられたみたいでその事から傍示本と呼ばれるようになったそうな。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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