こんばんはトヨクニです。今回は愛知県刈谷市にあります刈谷城(かりやじょう)について書いてみようと思います。正式な表記は「刈屋城」になるそうですが町の名が刈谷になってこの城もそれに倣ったようですよ。
別名「亀城」とも呼ばれる刈谷城は1533年(天文二年)、知多半島と三河国西部に勢力を持っていた水野忠政が築城させたと言われています。忠政の娘に徳川家康の母親である「於大の方」という女性がおり、出生は別の城ですが松平氏に嫁ぐ際にはこの刈谷城から岡崎城へ向かったそうです。
1560年(永禄三年)に起こった桶狭間の戦い後に今川軍の残存部隊に攻め込まれこの時に城主であった水野信近は戦死してしまったが城は落とされなかったようである。
その後は信近の兄である水野信元が城主を勤めたが1575年(天正三年)に織田信長の家臣である佐久間信盛の讒言によって信元は殺害されてしまい城も信盛に乗っ取られる形になってしまいます。しかし後に信盛は信長の勘気に触れて失脚してしまい城は再び水野氏が保有することになります。江戸時代に入ってからは刈谷藩の藩庁として機能していたが1871年(明治四年)に廃藩となりその時に刈谷城も廃城となりました。現在は「亀城公園」として整備され、土塁や水堀、曲輪などの遺構が残っております。
写真をみたらスイフトの姿があったのでこちらに訪問したのは約七、八年前でしょうか?城郭構造は平城で鳥瞰図を見ると河川を背面にして周辺を水堀や帯曲輪で囲んだような城だったようです。当初からこのような構造だったのか?それとも徐々に改築していったのかは分かりませんが図を見る限り相応の防御施設を備えた城だったのが分かります。
公園の東側に専用駐車場がありますので、そこに停めて散策してみました。公園の他にも野球場や競技場もありついでに桜の名所らしいので時期によってはかなり混雑するかも知れません。散策した感想なんですが案内板などが立っておりどの部分が遺構なのかは大体分かりますが、開発が進み過ぎて当時の原型は留めていないような感じです。水堀なんかも拡張されて大きな池になってましたね。主郭部分には「十朋亭」と呼ばれる大正時代の建造物が建っていましたね。こちらも再建造らしいですが・・・
2020年を目途に城の復元整備が進んでいるようです。という事は工事はもう終わっているのかな?機会があればまた復元された城を見に行きたいですがコチラみたいに史実とは違うモノではないことを願うばかりです。そんな訳で・・
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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