宇津山城に行ってきた話

遠江の城

こんばんはトヨクニです。今回は静岡県湖西市入出にあります宇津山城(うつやまじょう)に行ってきた話をしたいと思います。訪問したのは2020年6月です。浜名湖の西岸にある山城で地図で示すとこの辺りになりますね↓↓↓

宇津山城が築城されたのは大永年間(1521年~1527年)頃で駿河の今川氏親(義元の父)によって築かれたようです。氏親自身はこの城には入らず今川家の重鎮とも言える朝比奈氏が城主を勤めていました。桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後も当時城主であった朝比奈泰長は今川家の為に戦い、三河方面に攻勢を仕掛けて五本松城などを落としています。その泰長も1562年(永禄五年)に亡くなり、息子である朝比奈泰充が跡を継ぎますが、1566年(永禄九年)に弟の朝比奈真次が徳川家康に内通して謀反を起こし泰充は殺されてしまいます。これに対して今川氏真は家臣の小原鎮実に命じて城を奪回し、真次も討ち取られてしまいました。

そのまま鎮実が城主になりましたが1568年(永禄十一年)の暮頃から徳川家康の遠江侵攻が始まり、宇津山城もその攻勢に晒されてしまいます。鎮実も防戦に努めますが守り切れなくなり、浜名湖から舟で逃走します。この撤退時に鎮実は城内に爆薬を仕掛け敵兵諸共城を吹き飛ばそうとしますが、火薬量が足らず敵を驚かせる程度に終わりました。

その後は徳川家が城を支配し拡張工事なども行われたようですが廃城時期などその後の詳細は不明です。少なくとも1572年(元亀三年)辺りまで存在していたようです。現地の案内板には長篠の戦いが行われた1575年(天正三年)までは健在だったと書いてあります。俺の勝手な想像ですが、1590年に家康が関東に転封された時期に廃城になった可能性もあるのではないでしょうかね?現在は「正太寺」というお寺が建っていますがその敷地内に遺構の一部が残されているようです。

比較的大きな城郭で道中にも看板が立っていたのですが、駐車場が見つからないので正太寺の駐車場を使わせてもらいました。そこから少し山登りしましたね。後で知ったのですが山頂付近まで車で行けるようでその辺りに駐車スペースもあるようです。今回は時間が無かったので主郭付近を探索して終了しました。この辺りを散策するだけならそんなに時間は掛からないと思います。ただ広大な城郭なんで全体的にどの程度の遺構が存在しているのかは分かりませんが全部見回るとしたら、主郭部分から行くのは現在では困難だと思います。特に「正太寺の鼻」と呼ばれる東端方面は湖岸沿いから行くのも無理そうだし多分探索は不可能だと思います。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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