安祥城に行ってきた話(城跡巡りFile.60)

三河の城

こんにちはトヨクニです。今回は愛知県安城市安城町に存在していたといわれる安祥城(あんしょうじょう)について書いてみようと思います。

安祥城は1440年(永享十二年)、当時この辺りを支配していた和田親平という者によって築城されたと言われている。それから約30年近く和田氏が城主をしていたようだが1479年(文明十一年)に松平信光の奇襲攻撃を受けて陥落してしまう。その後は松平氏が支配していたが広忠(家康の父)の時代になってその支配力が弱まると1544年(天文十四年)、尾張の織田信秀(信長の父)に城を奪われてしまった。

大乗寺の境内 ここが主郭だったようだ

広忠も城を再奪取しようと攻勢を掛けたが敗北し、逆に織田家の侵攻を招いてしまい松平家の勢力は更に弱体化してしまう。広忠は駿河の今川氏に救援を求め、そのまま従属国となってしまった。1549年(天文十八年)に入り今川軍による安祥城攻撃が始まり半年以上の攻防戦の末に城を陥落させその後は今川氏の家臣が城主を勤めることになった。

こちらは東尾八幡宮 かつての二の丸跡 

しかし1560年(永禄三年)に勃発した桶狭間の戦いにて今川義元が戦死してしまうと松平元康(徳川家康)が独立し1562年(永禄五年)に織田家との間に同盟が結ばれると安祥城の存在価値は無くなりそのまま廃城となったようだ。現在は寺や神社が建立されており一部は公園になっている。

案内板

今回は公園駐車場(無料)に車を停めさせてもらって散策してみることにしました。安祥城は三つ郭で構成される平山城だったようで、当時周辺は沼沢地だったらしくそれらも天然の堀として利用していたようだ。大乗寺の辺りが主郭部分で隣に建っている東尾八幡宮に二の丸、北側の公園が三の丸跡になるのだが見た感じ城の面影はあまり感じられなかった。寺の周辺に池があったのだがこれがかつての水堀になるのだろうかね?地図見ると丁度主郭を囲っているように見えるね。土塁なども現存しているが当時のモノかどうかは分からないそうだ。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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