こんばんはトヨクニです。今回は愛知県豊橋市嵩山町に存在していたとされる月ヶ谷城(わちがやじょう)について書いてみようと思います。最初は「つきがやじょう」と読んでしまいましたがね、ついでに嵩山町の読み方は「すせちょう」と読むらしいです。これ初見で読める人はいるんかいな?訪問したのはつい最近で2021年5月になります。地図はこちらになります↓↓↓
月ヶ谷城が築城された時期は不明で16世紀初頭には西郷正員という者がこの城を本拠地として使っていたという記録が残っています。1561年(永禄四年)の頃には西郷氏は本拠地をここから北にある五本松城に移し月ヶ谷城はその支城となったようです。1562年(永禄五年)に徳川家康が独立勢力となり駿河の今川氏と敵対するようになると西郷氏もそれに同調するようになりました。その為に今川氏真に攻め込まれてしまい月ヶ谷城は落城し、その当時城主であった西郷元正(正員の孫)も戦死してしまいました。三河と遠江の国境付近にある城だったので真っ先に狙われてしまったのでしょう。その後はどうなったかは詳しくは分かりませんが、このまま廃城となってしまい現在に至ると思います。
月ヶ谷城へは西側にある登山口から進入し山頂を目指す事になります。駐車場は無いので車は路駐するしかないのですが場所はここが良いかと思います↓↓↓
途中にモ-タ-スがあるのでそれを目印にすると良いと思います。水路沿いを歩いて行くと木橋がありそれを渡って山頂を目指します。あぁそれと木橋の向かい側に駐車場のような敷地がありますが、ここは私有地なので入らないでくださいね。「立入禁止」の看板立っているから大丈夫だとは思いますが一応念のため・・・
あまり整備されていない登山道なので城までの道が分かりにくいですが、地元の方が所々に矢印看板を設置してくれたお陰で何とか山頂まで辿り着けました。看板が無ければ間違いなく迷っていたので感謝感謝ですね。ちょっと歩きますがそんなに傾斜はきつくないので道に迷わなければ攻略は容易だと思います。ただ道の状態を考えるとトレッキングシューズは必須になるでしょうね。
城郭構造は主郭を中心に周りを土塁、曲輪で固めた山城でして散策した感じ、そこまで大きくはありませんでした。主郭の跡地に「月ヶ谷城址」の碑が立っており、曲輪や虎口跡などが割とハッキリと確認できました。書籍「愛知の山城ベスト50」によりますと石垣もあるそうなのですがどの部分を指しているのかは不明でした。
それと南側の辺りに井戸らしき大きな穴があるのですが、この辺りは虎口になるそうなので井戸ではなく落とし穴ではないかという説があります。その深さは今でも3M程あるらしいのでこちらと同様にこういう場所には近づかない方が無難でしょうね。到着してからの探索時間はおよそ40分程度でしょうか?そんな訳で・・・
攻略難易度★★★
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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