本証寺に行ってきた話

三河の城

こんにちはトヨクニです。今回は本証寺(ほんしょうじ)という寺の皮を被った城郭について書いてみようと思うよ。場所は愛知県安城市で訪問したのは2020年4月頃だったと思う、この頃は武漢ウィルスが国内でも猛威を振るい始めていた時期でこの日は強制的に有給休暇を取らされてさ、別にやる事も無かったのでここにやってきた。後で知ったのだが本證寺というのが正しい書き方のようだ、まぁ俺にとってはどうでもいいのでここでは本証寺で記載させてもらうよ。

本証寺が築城・・・というより建立されたのは1206年(建永元年)頃で慶円という僧侶が築かせたらしい。いつ頃からあのような城塞に変貌したのかは分からないが1563年(永禄六年)から始まった三河一向一揆において本証寺は一向宗の本拠地となり徳川家康と戦うことになる。この時には本証寺だけではなく近くにあった勝鬘寺と上宮寺も共同で蜂起したようだ。

この一揆は半年ほどで鎮圧されて本証寺の方も当時住職であり一揆側の指揮官でもあった空誓という者が逃亡してまいそのまま廃寺となってしまった。その後は一時放置されていたが、江戸時代になってからしばらくして再建が許されたようで将軍に拝謁できるまでになったそうな。現在は本堂の他に水堀、楼閣などの遺構が残されている

本証寺の大手門付近から

今回も車で訪問したが寺の裏手に駐車場があるのでそこに停めさせてもらい見学させてもらった。平日なのか境内には全く人気が無かったがいつも清掃しているのか中は綺麗であった。本堂の周りは水堀と城壁?に囲まれており途中には楼閣がそびえ立っていた。水堀は分かるが城壁や楼閣も当時から存在していたモノなのだろうか?それとも再建物なのか?因みに堀は二重構造だったようで現在残っている部分は内堀になるようだ。わずかではあるが外堀の遺構も存在しているみたいだよ。

境内の案内板見ると当時の俯瞰図が載っており、割と本格的な城塞だったことが窺える。この近くに岡崎城があるので当時ここに居城していた家康にしてみればさぞかし厄介な存在だったのだろう、まぁ実際にそうなって最終的には家康によって落とされてしまったのだが・・・

寺を巡る戦闘については記録がないようなのでこれらの構造物が実戦においてどれほど役に立ったのかは知る由もないのだが、敵からみたらさぞかし驚異的な存在に見えただろう、いやそれ以上に厄介なのは一向宗が絡んでいる事だろうなぁ。

一向宗と言えばあの織田信長を散々苦しめた事で有名な宗教団体であるが、家康もまた苦しめられていたようだ。そりゃこんな城郭紛いの寺を造った挙句、戦闘まで仕掛けてくるのだから彼らにしてみれば寺の一つや二つ焼き討ち&虐殺もしたくなるわなぁ・・・と今回この寺を見学してそう感じたよ。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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