植田城に行ってきた話(城跡巡りFile.63)

尾張の城

こんにちはトヨクニです。今回は愛知県名古屋市天白区の辺りに存在していたとされる植田城(うえだじょう)について書いてみようと思います。訪問した時期はたぶん2015年辺りだったと思いますね。

植田城が築城されたのは1471年(文明三年)、横地秀綱という者が築城させたと言われています。この秀綱は元々は遠江国(現在の静岡県西部)の人間であったようですが室町幕府8代目将軍である足利義政の命令でこの地を治めるようになりました。そんな感じなので秀綱が尾張横地氏の初代当主と言えますね。

それから時が流れて戦国時代に突入すると横地氏は割と早い段階で織田信長に仕えたようで植田城が戦火に巻き込まれる事は無かったようです。しかしながら横地氏の当主は各地の戦場に従軍していたみたいで五代目秀政は1570年(元亀元年)に起った「姉川の戦い」で死亡、六代目の秀房も1580年(天正八年)に始まった小牧・長久手戦役における「蟹江の戦い」で敗死するなど不運な状況が続いたようです。

植田城遠景 手前は郷藪公園

八代目秀住の頃には既に徳川家康の天下となっており、植田城城主としては彼が最後の当主となります。彼は郷士となり植田城も廃城となったようですが、家康にも拝謁しており「永世諸役御免」の朱色を賜ったらしいです。要はずっと税金が免除されるということなんですかね?

現在は完全に宅地化されているので遺構類などは残っておりません。言い伝えによると城郭構造は平城で郭の周りを土塁や空堀、物見櫓などで固めた比較的簡素な造りだったようです。戦火に巻き込まれなかったのでこの位で充分ということなんですかね。発掘調査なども行われていないので正確な所在地は不明ですが「郷藪公園」西側辺りに存在していたそうですよ。そう言えばこの辺りは横地姓の家が何軒かありましたがこの方々は戦国時代の横地氏と何か関係あるのでしょうかね?そんな訳で・・・

攻略難易度★

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