清州城に行ってきた話

尾張の城

ど-もノラネコです。今回は2024年3月に訪問した清州(きよす)城について色々と書いてみようとおもいますよ。有名な歴史的出来事に関わっているので、これまた知名度は高いのではないだろうか?城の所在地は愛知県清須市に在りまして地図で示すとこの辺りになります↓↓↓

現地案内板やネット情報によると清州城は1405年(応永一二年)に尾張国の守護大名であった斯波義重によって築かされたといわれる。その当時、義重は守護所として下津城(愛知県稲沢市)を本拠地にしており、清州城は別荘という立ち位置であった。

しかし1476年に下津城が戦火により焼失してしまうと、守護所の機能は清州城に移される事となる。清州周辺は交通の要衝でもあったので、そこからどんどん発展していったようで、1555年から1563年の間、織田信長もここを本拠地にしており、「桶狭間の戦い」の際はこの清州城から出撃していった。

その後もこの城で信長と松平元康の同盟関係(清洲同盟)が結ばれたり、信長亡きあとに開催された重臣達の会議(清洲会議)なども行われたりと、歴史的に重要な出来事に関わっている。

清洲会議の後には織田信雄(信長の次男)が城主となり、この頃に大規模な改修工事も行われた。その信雄も豊臣秀吉と対立してしまい改易され追放されてしまうと、その後任に福島正則が入り1600年に勃発した関ヶ原の戦いの際には東軍の軍事拠点にもなっている。

関ヶ原の戦い後に正則が転封し、清州城は徳川氏が支配するようになり、藩庁もここに置かれ引き続き尾張の中心地になると思われていたが、1609年に家康によって名古屋城建設&清州の住人移住命令が下される。これにより尾張の中心は名古屋城周辺に移され、清州城はその役目を終え1610年に廃城となった。現在は公園として整備され模擬天守や日本庭園などがある。

ということでね、行ってきましたよ清州城に、前回書いた名古屋城の次にここに訪問してきたんだけどさ、歴史的には有名な城なんだけどどのような城郭構造なのか?その辺りはよく分かっていないらしい。尾張の中心を名古屋に取って代わられて、寂れている印象を持つかもしれないが、現在は閑静な住宅街になっており名古屋(特に栄、名駅)までのアクセスも良さそうな感じなので住む場所としては寧ろ最高の場所にも思えるけど。公園内に駐車場もあるんで停める場所には困らないと思います。

現在は写真のような立派な模擬天守や石垣、庭園が整備されてはいるが、この辺りはもちろん当時の代物ではなく割と最近に建てられたモノだ。遺構としては土塁の一部が残存しているとのことだが、どの辺りにあるのかは確認できなかった。それと名古屋への移転の際に櫓が移設されたようだが、あの名古屋城で撮った写真に写ってるのがそうなんかね?

模擬天守の中は歴史資料館(有料)となっており、最上階の展望台からの眺めは良く、名古屋の街並みや岐阜の山々、そして伊吹山なんかも見えたりする。個人的には資料館はともかく、こんな立派な石垣や模擬天守は要らないと思うんだけどねぇ。主役を名古屋城に奪われそれに対抗する意図があったりしてな・・・いやさすがに下衆の勘繰り過ぎだわな、サーセンね。

因みに家康が清州からわざわざ名古屋を中心に移したのは、清州周辺が水害に脆いからだとも言われている。そ-いや何年か前に東海集中豪雨という災害があって、この辺りも結構な被害を受けたんだよな。その当時、仕事でこの辺りを回っていたんだが、周辺の道路で水没した車がそこかしこに放置されているのをみたよ。まぁあの時は名古屋もそれなりの被害を受けたが、やはりこの辺りは大きな河川もあるし今も昔も水害に弱いんだな。てな訳でして・・・

攻略難易度★

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