白鳥山城に行ってきた話(城跡巡りFile.68)

三河の城

おはようございますトヨクニです。今回は愛知県北設楽郡設楽町に存在していたとされる白鳥山城(しらとりやまじょう)について書いてみようと思いますよ。訪問したのは去年の5月頃でしたかね?ちょうど武漢ウィルスが国内にも蔓延し始めて急遽休みになってここへ行ってきました。

白鳥山城に関する情報は少なく、現地の案内板や書籍によりますと築城主は後藤基茂という者で、築城年は恐らくは1500年代初頭の頃だと思われます。その後は後藤善心という者が城主になりましたが1562年(永禄五年)には駿河の今川氏真によって攻め落とされてしまいます。氏真に攻められた経緯は分かりませんが当時の戦闘記録によりますと割と呆気なく攻め落とされたようなので防衛には不向きな屋敷のような城だったのでしょう。

白鳥神社

城は落とされてしまいましたが、善心は生き延びたようでまた白鳥山城に戻っています。そして白鳥山城の防御に不安を感じたのかここから西の所に津具城という天険の城塞を築かせています。普段は白鳥山城で過ごし緊急時には津具城に籠るつもりだったのでしょう。しかし1560年代後半に甲斐の武田氏が三河方面に進出してくると善心は武田氏の味方をしてしまう。その為、当時は家康の配下であった亀山城の奥平貞能に攻め込まれてしまい1569年(永禄十二年)4月17日に白鳥山城はまたも落城し、この時には善心とその家族も落命してしまったようです。その後はどうなったかは不明ですがそのまま廃城になったと思われます。現在は白鳥神社が建立され境内に後藤善心の供養塔と案内板があるのみで遺構類は残ってないようです。

神社には参拝者用の駐車場がありますのでそこに車を停めて散策してみました。境内に少し色褪せた案内板と石塔がありました。その隣には白鳥山に入る登山口があります。城が在ったのは山の中腹辺りと言われていますが、具体的な場所は分からないそうです。

少し疑問に感じた事がありまして地図みるとここから津具城まではそれなりの距離がありまして、もしも白鳥山城が敵に攻撃された場合、善心はどうやって津具城まで退避するつもりだったのでしょうか?俺の勝手な想像ですが裏口から脱出して尾根伝いに逃げるつもりだったのですかね。まぁその辺りの調査は城の専門家に任せればいいですね。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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