知立城に行ってきた話

三河の城

どうもトヨクニです。今回は2015年6月に訪問した知立城(ちりゅうじょう)について書いてみようと思うよ、正確に言うと知立古城と呼ぶらしいのだが。いつもの如く、城の詳しい情報については手持ちの書籍やwikiに頼ろうとしたのだがどちらにも掲載されていなかったので、他のサイト様から拝借させてもらいます。もっともそれらにも余り詳しくは書かれていなかったのだが。東西を繋ぐ東海道の途上に、そして三河国と尾張国の境に存在していたとされる知立城・・・あの有名な桶狭間の戦いにも関わっているようだ

知立城の築城年については不明であるが築城主は永見氏とされている。この永見氏というのは知立神社の神主を勤めていたそうで、ついでに知立城の城主も兼ねていたというところだろうか?知立神社は城の少し北の所にあり、現在も存続している。てか割と有名な神社なんかな?寺社については全く知識が無いから分からんな。城の所在地は愛知県知立市西町にある。この辺りは名鉄沿線の駅や国道1号線が近いため交通量もそれなりに多かった。

室町時代の戦乱期に今川家の勢力がこの地域にまで及んでくると、今川軍の攻撃に晒された城は陥落し、ついでに知立神社も焼き払われたと言われる。ということは桶狭間の戦いの時にこの永見氏は織田方として戦ったのであろうか?この辺りはハッキリ分からないんだよな。

因みに今川義元は桶狭間の戦いの二日前にこの城に滞在しており、翌日に沓掛城に向かっている。そして更に次の日に大高城へ向かう間にて織田信長の奇襲攻撃を喰らってしまい無念の敗死を遂げてしまう・・・

桶狭間の戦いの後、織田軍の反撃が始まるとこの知立城も攻撃に晒され落城してしまう。その後の経緯は不明で恐らくはそのまま廃城となったと思われるが、天正年間(1573~1593)に御殿が建てられたようだ。しかしそれも1699年(元禄一二年)の地震で倒壊してまい、再建されることもなく現在に至る。

情報がそんなに多くないので書くのに苦労したが、知立城に関する概要はこんな感じだろうか?

知立城があった場所には現在、児童公園になっておりその周辺は住宅街になっている。事前に地図で確認したら公園になっていたので、多分駐車場があると勝手に思いこみ車で訪問したのだが無かったので路駐してしまった。公園周辺の道路は狭い上に交通量もあるので少し迷惑駐車になってしまったよ。散策には時間かからなかったから良かったけどさ、本来ここへ来るには交通機関を使うべきだろうな。

公園内には城がらみの遺構は存在せず、石碑と案内板のみがあった。公園内の一角に井戸跡らしきものがあったが、特にこれについて説明されているのは見当たらなかった。

城の規模についてはよく分からない。ただ現在もそうだが、城が存在していた当時でもこの辺り一帯は交通の要衝だと思われるので、それなりの規模と格式を誇る城郭だったのではないかと勝手に推測しておく。

攻略難易度★

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