こんにちはトヨクニです。今回は愛知県豊橋市に存在していたとされる石巻山城(いしまきやまじょう)について書いてみようと思います。その名の通り石巻山(標高355m)の山頂付近に築城された山城で豊橋市内の城郭の中では最古のモノらしいです。
現地の案内板によりますと石巻山城は南北朝時代に南朝方であった高井主膳正が所有していたらしいですが、この人物が築城主かどうかは不明です。別のサイトには延元年間(1336年~1340年)頃に築城されたという書き込みがありましたがソースは不明です。この近くに高井城という城郭があり、石巻山城はその支城だったとも言われています。
南北朝時代という事でこの時代は戦乱期になります。高井氏が支配していたこの地域に北朝の大軍が攻め込んできたのは1344年(興国五年)の頃で、主膳正は石巻山城に立て籠もり北朝軍を迎え撃ちますが攻め落とされてしまい彼は石巻山の中腹辺りで自死したと言われています。その後は使われた形跡がないみたいなのでそのまま廃城になったと思われます。
石巻山は豊橋市内では有名な観光スポットのようで、山頂付近まで車で行くことが出来ます。旅館や博物館などもあり、見晴らしも良く広大な駐車場も整備されていますが、そこから少し歩くと何年も前に朽ち果てた店や割と最近になって廃業したと思われる旅館が並ぶ寂れた観光地という感じです。
駐車場から歩いて10分位の場所に遊歩道の入り口があります。更にそこから少し進んだ所に石巻山城の石碑が建っており、この辺りに城が存在していたそうです。城郭構造は周辺を帯曲輪で囲んだ連郭式の山城だったようでそんなに規模としてはそんなに大きくはなかったそうです。
案内板によると帯曲輪の遺構が残っているらしいですが、どの部分を指しているのかよく分かりませんでした。上で書いたように石巻山城は支城として作られた小規模ながら天険の城塞という感じではありますが、ここだけで北朝軍を迎え撃つには力不足だったのでしょうかね?そんな訳で・・・
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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