こんにちはトヨクニです。今回は愛知県岡崎市に存在していたとされる箱柳城(はこやなぎじょう)について書いてみようと思います。
現地案内板によりますと箱柳城は正長年間(1428~1429年)頃に中根盛清という者が築城させ、その後八代目当主である忠良の頃になると箱柳城を拠点にして道根六郷(箱柳・小呂・田口・坂田・岩谷・中畑)の村を支配していたと言われています。忠良の次男、正照は徳川家康の家臣となり1572年(元亀三年)に勃発した「三方ヶ原の戦い」に参戦し戦死してしまったようですが後に子供たちは旗本として存続し家名を保ったようです。
あとこれはサイトからの情報なんですがこの中根氏は桓武天皇の末裔を称しておりまして、1160年に起こった平治の乱の後に平忠政(平清盛の叔父)の息子である正持が後に中根氏と改名し三河国に移り住んだのが始まりらしいですが真相はどうなんでしょうね。
城代を勤めた中根氏に関する情報はたくさんありますが肝心の城に関する情報は少ないですね。忠良の頃(たぶん1560年辺り)までは城は存在していたようですがその後どのような経緯を辿ったのかは分かりません。そんな訳なんで廃城年についても不明です。正照が当主だとしたら1570年辺りに遠江国(静岡県)の二俣城の城主になっているのでその時期に廃城したかもしれませんね。
情報は少ないですが遺構類は残っております。岡崎市の山奥にありますので車で行った方が無難だと思います。城の北側にある川を挟んだ道路沿いに石碑が建っており車はその付近に停めれます。石碑の裏側に箱柳城や歴代の城主の事が書かれていましたね。
そこから橋を渡って民家の脇を抜けると登山口がありますのでそこから箱柳城に行けます。登ってすぐに石垣が見えてきますが当時のモノかどうかは分からないらしいですね。二段構えの郭が確認できましたが竹藪に覆われているのでハッキリした構造は分かりませんでした。分類的には平山城になるのかな?城のというよりは屋敷のような感じでしたね。
それにしてもジュ-スの空き缶や菓子袋などのゴミがかなり散らかっていましたが、訪問した人が捨てたのか或いは地元の子供がここで屯(たむろ)でもしているのでしょうかね?そんな訳で・・・
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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