蒲形城に行ってきた(城跡巡りFile.118)

三河の城
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おはようございますノラネコです。今回は2024年1月に訪問した蒲形城(かまがたじょう)について書いてみる。城の所在地は愛知県蒲郡市上本町という所で地図上で示すとこの辺りに存在していたそうな↓↓↓

ネット情報によると築城時期についてはかなり曖昧で明応から永正年間(1492~1521)の辺りで、築城させたのは鵜殿長存という者らしい。

この辺りの城郭では必ず出てくる鵜殿氏の一人でこの長存は分家になり下ノ郷鵜殿氏と呼ばれていた。因みに本家は上ノ郷鵜殿氏と呼ばれており、上ノ郷城を拠点にしていた。

この頃の鵜殿氏は駿河の今川氏に従属していたが、1560年に桶狭間の戦いで今川義元が死亡し、三河地方における今川氏の影響が弱まると岡崎城の松平元康(徳川家康)が独立し、三河の支配権を賭けて今川氏と対決することになる。

鵜殿一族は元康に寝返る者と引き続き今川氏に味方する者とに分かれ、下ノ郷鵜殿氏は元康に従い、本家の上ノ郷側は今川氏の為に元康と戦ったが結果は上ノ郷城が陥落して元康の勝利となり本家側は一旦没落することになる。

その後も蒲形城には下ノ郷鵜殿氏が居住し続けていたが1590年(天正一八年)に徳川家康が関東地方に飛ばされてしまうと鵜殿氏もそれに従って城を放棄しそのまま廃城になったんだそうな。

現在は「蒲郡高校」が建っており、遺構類は何も残ってはいないが、江戸時代に書かれた地図によると城郭構造は平城のようで主郭を中心に二重の水堀や円状になっている曲輪(二の丸)に囲まれた割と本格的な城のようで分家の城にしてはかなり贅沢な造りに思える。

立ち位置的に上ノ郷城の支城的扱いだと最初は思っていたんだが、実際のところどうだったんだろうね?本家とのパワ-バランスはそんなに無かったのかも知れないね、まぁ今は何も残されていないのでこの辺りは俺の想像の域でしかないんだけどさ。因みに車は近くのコンビニ駐車場に停めさせてもらいました。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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