こんばんはトヨクニです。今回は2015年4月に訪問した重原城(しげはらじょう)について書いてみようと思う。風のウワサによると埋蔵金とか巨神兵伝説もあるらしいが・・・どんな城郭だろうか?
築城時期、築城主は不明である。ただ平安時代にこの辺りには荘園があったそうでそこの支配主の館を城郭化したのではないかと言われているが詳細は分からない。城の所在地は愛知県知立市重原本町にある。
室町時代の動乱期に入るとこの重原城も戦いに巻き込まれてゆくことになる。記録に残っているのは1548年(天文一八年)に三河国の松平広忠(家康の父)がこの城に攻め込んでいる。この時は尾張国、織田家の家臣である荒川新八郎という者が城主を勤めており、この時は城の防衛に成功したようだ。
しかし1554年(天文二三年)に今度は駿河国の今川家がこの城に攻め込んで来る。この時の城主は同じく織田家の者で山岡河内守という者が城主であったが、守り切れず落城してしまう・・・。そして城主の山岡河内守は落ち延びて逐電したとも戦死したとも伝えられている。
その後も尾張国への侵攻拠点の一つとして使われたが、1560年(永禄三年)に発生した桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると織田軍の反撃が始まり、この城に駐留していた今川軍も城を放棄して駿河に逃げ帰ってしまい、そのまま廃城となってしまったそうな。
城があった場所には「上重原公民館」が建っており、今回はそこの駐車場に車を停めさせてもらった。最初は分からなかったが公民館の裏手に川(水路?)と挟まれた所に石碑と案内板が建っていた。遺構は公民館の東側にある竹藪の辺りに土塁と堀切の遺構が残っているそうだが、土塁らしきものはなんとなく分かったが堀切についてはどの部分なのかは竹藪が深すぎて確認できなかった。私有地っぽいので深入りするのはやめておいたよ。外からの見ても何も無さそうだし何よりも地主と遭遇してトラブルにでもなったら面倒くさいしな。
公民館の裏手を流れている川も堀の一部と言われている。確かによく見ると人工的に作られた感じがするね。川というよりは水路なんだろうね
あとこの城絡みのエピソードとして埋蔵金伝説と巨神兵伝説の話がある。簡単に説明すると埋蔵金の方は城主の山岡河内守が今川軍に攻められる直前に財宝を隠したというのと、巨神兵の方は今川軍に攻め込まれている最中に仁王様のような大男が現れて敵の矢玉から城を守ってれたというお話。まぁ結局のところ城は仁王様の奮戦も虚しく落ちちゃったんだけどさ・・・
城が落ちた時に大手門付近に矢が大量に刺さった岩が残されており、その岩は後に「権現石」と呼ばれたのだそうな。権現石は現在でも残っておりその岩を祀った祠があるのだが、写真撮り忘れた。祠はここからちょっと離れた場所にあるそうなんだがな。機会があればまた行くこともあるだろうさ。そんな訳で・・・
攻略難易度★
ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_