こんにちはトヨクニです。今回は愛知県岡崎市にある雨山城(あめやまじょう)について書いてみようと思いますよ。別名で雨山砦とも呼ばれており俺がこちらに訪問したのは一昨年辺りだったと思う、当初は雨山ダムへ行くつもりだったのだが途中で雨山合戦の石碑を見つけて気になって調べてみると雨山城の名前が出てきたのでついでにそこにも行ってみることにした。因みに城の正確な所在地は不明で地図で示している部分は雨山合戦で戦死したとされる菅沼定村の供養塔が建立されている。
雨山城が築城されたのは1506年(永正三年)頃で、阿知定助という者が築かせたようだ。時は流れて1556年(弘治二年)に当時城主であった阿知定直は駿河の今川氏に従属していたが尾張の織田氏に鞍替えしたため今川義元は伊奈城の本多忠俊、二連木城の戸田宣光、野田城の菅沼定村などに雨山城の攻略とついでに寝返った亀山城を支配する奥平氏の討伐を命じる。
この時に起こったのが「雨山合戦」で今川方というか東三河の豪族連合軍は敗北し、菅沼定村はこの時に戦死したようだ。その後、別の今川軍によって雨山城は攻略されてしまうが城主の定直は奥平氏の元に落ち延びたとされる。雨山城がこの後にどうなったのかは不明であるがその後も存続していたようで廃城になったのは1590年(天正一八年)とのこと。家康が関東に転封されて
先に書いた通り、近くに雨山ダムがあるのでそこの駐車場に停めさせてもらって石碑の所まで歩いていった。まぁ車通りの少ない山道なので路駐しても問題ないと思うが・・・雨山城の正確な所在地が分からないため遺構なども確認できない。代わりに雨山合戦の石碑とその近くに菅沼定村の慰霊塔があったのでそれらを写真を撮って撤退することにした。石碑と慰霊碑の横にあった案内板には合戦については詳しく書かれていたが城に関する記載は無かったな。そんな訳で・・・
攻略難易度★
ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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