こんばんはトヨクニです。今回は愛知県額田郡幸田町に存在していたとされる野場西城と東城について書いてみようと思います。こちらは前回書いた久保田城と同じ日に訪問した城になります。西城の方は案内板や遺構が残っており間違いなく存在していたようですが東城については情報が少なく、イマイチはっきりしませんでした。
まずは西城からですが現地の案内板やサイトの情報によりますと、築城されたのは15世紀頃で大須賀胤重という者がこの地に移住しこの城を築城させたらしいです。著名な城主に大須賀康高という者がおり、後に徳川家康の重臣となり特に甲斐の武田氏との戦いで活躍します。彼は1578年(天正六年)に遠江国へ移住しますが案内板を読むと1563年に起こった「三河一向一揆」の際に一揆軍に属し、松平伊忠という者によって攻め落とされて廃城になったと書かれています。この時の城主は康高ではなく夏目吉信という者が城主だったそうです。現在は宅地化されていますが、土塁の一部は残っております。
次に東城の方なんですがこちらはサイトからの情報しかなくそれによると場所は西城から1キロ程離れた所にあり築城時期などは不明です。こちらも三河一向一揆の際に一揆側に付きそれが原因で廃城となったようです。現在は霊園になっており遺構類など城の痕跡は残っていません。
これは他の城巡りサイトの方が書いていたのですが、西城の城主だったとされる夏目吉信は東城の城主ではなかったのでしょうか?大須賀康高は古くから家康に従って戦功を挙げており、遠江に移住するのは1570年代になってからになります。当然ながらそれまでは西城に居住していると思いますしね。まぁもしかしたら一向一揆の際に吉信に城を奪われてしまい、また奪い返したもののそのまま放棄されたのかも知れないですけどね。
何にせよ康高の三河時代の情報があまりないので勝手な憶測になってしまいます。因みに西城付近は道が狭く車を停める場所がなさそうだったので少し歩く事になりますが近くのコンビニの駐車場を使わせてもらいました。かなり大きめの土塁だと思われる部分が一部だけですが現存しておりました。その脇に案内板と藪に埋もれるような感じで石碑が立っています。東城の方は霊園の駐車場に停めれば良いと思いますが遺構類は残っておらずそれらしい痕跡も見当たりませんでした。そんな訳で…
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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