茂松城に行ってきた話(城跡巡りFile.75)

三河の城

こんにちはトヨクニです。今回は愛知県豊川市御津町に存在していたとされる茂松城(しげまつじょう)について書いてみようと思います。訪問時期は2020年5月頃だったと思います。

サイトや現地の案内板によりますと平安時代末期に源範頼(頼朝の異母弟)、享徳・文明時代には細川勝久が居城していたおり駿河国の今川氏に攻め落とされて落城したと書かれています。しかし書籍「愛知の山城ベスト50を歩く」によりますとこの辺りの情報は信憑性が低いとのことで築城されたのは16世紀初頭と記載されていました。室町時代末期には牧主計(牧野古白の六男?)という者が居城していたそうですが、1560年(永禄三年)に起こった桶狭間の戦いで戦死してしまい廃城になったそうです。

書籍の方には桶狭間の戦い後、この辺りの土地は牧野氏から長沢松平家が支配することになり1565年(永禄八年)に牧野氏が徳川家康に降伏するまで城は存在していたとも書かれていました。現在は山林になっており土塁の一部や曲輪、巨大な井戸の跡などが残っております。

県立御津高校の隣にある標高80Mくらいの山上に茂松城は存在していたそうです。駐車場は無いですが道幅も広いし学校が休みの日に行けば路駐でも大丈夫だとは思います。この時は国道23号線の延長工事の影響で周辺道路が一部通行止めになっておりナビが機能せず到着するまで時間が掛かりました。学校東の校門付近に車を停め道を歩くと少し分かりにくいですが登山口らしき入り口があります。

そこから少し登って途中で右に入るのですが、これが一番見落としやすいかもしれません。間違えてそのまま真っ直ぐに進むと柵に囲まれた私有地らしき場所に出るので気付くとは思いますが、多分初見ではここまで行ってしまうと思います。

巨大な井戸跡 あまり近づかない方がいい

山頂付近には案内板と最近建てられたと思われる碑がありました。城郭構造は主郭を中心に周辺を曲輪や土塁、堀切で守らせた典型的な中世の山城だったようです。案内板が立っている辺りが主郭部分でその後ろが少し盛り上がっていたのでここが土塁なんでしょう。空堀らしき窪みも確認できましたが、一番の目玉?は主郭の東側にある巨大な井戸跡ですかね。直径は1.5Mくらいで深さはどのくらいかは分かりませんが柵とかは設置されていないのであまり近づかない方が無難です。探索時間は約一時間程度でしょうかね。あと余談ですがここから500M南の所に以前紹介した竹本城があり、茂松城はその支城だったとも言われています。そんな訳で・・・

攻略難易度★★

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