どうもこんばんはトヨクニです。今回は愛知県豊川市瀬木町に存在していたとされる瀬木城(せぎじょう)について書いてみようと思いますよ。こちらに訪問したのは2018年頃で前回書いた牧野城と同じ日に行きました。地図で示す所在地はこちらになります↓↓↓
現地の案内板によりますと瀬木城が築城されたのは1493年(明応二年)頃で、牧野城主であった牧野古白(成時)が築かせたと言われています。案内板には「牧野城に次ぐ居城」と書かれていたのでこの城が完成してからはこちらに移り住んだのでしょうね。この頃の牧野氏は牧野城を拠点に勢力を拡大しており、ここから西にある牛久保方面に進出するための出城の意味合いもあったそうです。古白は牛久保にあった一色城を攻略した後は今度はこちらに移住し、牧野城には長男の牧野能成がそして瀬木城には次男に牧野成勝が城主になったそうです。その後は近くを流れていた豊川の流路が変わってしまったらしくそれらの影響で廃城になったそうです。現在は案内板の他に主郭部分の跡地に神明社が建っておりその脇に水堀の跡が残っております。
上でも書いた通り牧野城の後にこちらに訪問したのですが、駐車場が無い上に周辺の路地も道幅が狭いので少し離れたところにあるパチンコ店付近に路駐させてもらいました。城の周辺は閑静な住宅地ですが生活道路なのか車通りはそれなりに多かったのでこの辺りには停めない方がいいと思います。牧野城の時にも書かきましたが、この瀬木城の写真データも紛失してしまい再訪して撮り直してきました。
城郭構造は搔揚式の主郭を中心に周辺を曲輪や水堀で固めた平城だと思われます。案内板の古地図を見ると当時は城のすぐ脇に豊川が流れていたようです。堀の水はここから流し込んでいたのでしょうかね?主郭だった部分には祠が建っておりますが城が在ったような痕跡は見当たりません。
そのすぐ脇に幅10m、長さ100m位の巨大な窪みがあり、ここが水堀の跡だと言われています。堀の中に入り探索することもできますが、祠の裏手から進入するようにしましょう。鳥居の脇からも入れますがこの辺りは池になっているので危険です。倒木で隠れているので分かりにくいですが、うっかり足を滑らせたり木が折れたりしたら池に落ちてしまうのでここから入るのは止めておきましょう。
堀の中を探索してみるとその意外な大きさに驚いてしまいます。草木を搔き分けながら途中まで進みましたが大量のやぶ蚊に襲撃されてしまい慌てて退散しました。そう言えば前回訪問したのは冬場だったな・・・地図みると瀬木城の少し西側に小川が流れているのが分かりますね、ここがかつての流路だったのでしょう。それにしても自然現象で川の流れが変わるってどんな感じなんだろうか?一度でいいからこの目で確かめてみたいもんです、そんな訳で・・・
攻略難易度★
ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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