こんばんはトヨクニです。今回は静岡県浜松市北区三ケ日町に存在していたとされる野地城(のじじょう)について書いてみようと思います。今回から初の静岡遠征になりますな、こちらに訪問したのは2020年6月頃だったと思います。
野地城は1583年(天正十一年)に徳川家康が家臣の本多信俊、上村庄右衛門に命じて築かせたそうです。この頃の遠江国は家康の支配下にありました。ここより南に佐久城があるのですが街道(現在の国道362号線?)から離れた位置にあり交通の便は良くなかったようで代わりに街道から近いこの辺りに野地城を築城させたようです。なのでこの城は防衛目的の城郭ではなく、軍団の駐屯地としての役割を担っていたようです。
家康も当時本拠地にしていた浜松城から京都方面へ向かうときにはここに逗留していたそうです。戦国時代末期に造られた為に大きな戦闘に巻き込まれる事もなくその後も拡張工事が続けられて江戸時代に入りましたが1680年(延宝八年)に恐らくは財政難を理由に廃城されたそうです。建造物の一部はここから南にある新居関所に移されました。現在は公園や果樹園となっており案内板や石碑などが建てられています。
地図で見た感じ、周辺の道路が狭そうだったので北側の湖岸沿いに車を停めて遊歩道から城まで向かいました。他のサイトを見る感じ東側の道路からそのまま突っ込んでも良さそうですね。広場というかゲートボ-ル場みたいな所に辿り着いたのですが、ここが主郭部分のようです。その片隅に草陰に隠れた案内板がありました。こちらには本多忠勝が築城させたと書いてありましたが信俊の間違いではないですかね?
その隣には神社が建立されていたのですが、その周囲は柵で囲まれており既に使われていない感じに見えましたがこちらには物見台が建てられていたようです。他にもミカン畑に空堀の遺構があるらしいのですが私有地だと思われますので探索は止めておきました。それとこれは後になってから分かったのですが、公園の入り口辺りに野地城の石碑があったらしくこちらは見落としてしまいました。やはり事前の調査はしっかりとやっておくべきだったと反省しております。そんな訳で・・・
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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