佐脇城に行ってきた話(城跡巡りFile.93)

三河の城

どうもトヨクニです。久しぶりの城巡り関連の記事です。今回は2021年7月に訪問した佐脇城(さわきじょう)について書いてみようかと思います。城の所在地は愛知県豊川市御津町で地図で示すとこの辺りになります↓↓↓

道が狭い上に入り組んでおりましてちょっと分かりずらかったです。周辺は住宅地で城が在ったとされる場所は児童公園になっていました。駐車場とかはありませんが公園前の道幅が少し広いのでそこに路駐させてもらって探索してきました。公園敷地内の片隅に佐脇城の石碑と案内板が立っていました。

案内板によりますとこの地域は鎌倉時代の頃から佐脇氏が支配しておりまして、おそらくは城もその頃から存在していたと思われます。しかし南北朝時代の辺りに佐脇氏は伊勢国に移り住んだそうでその後は作手の奥平氏がこの地域を支配するようになりました。室町時代の戦乱期になると一旦は松平元康(家康の祖父)の手に落ちたりもしましたが、駿河の今川氏が三河地方に進出してくるようになると佐脇城は吉田城牛久保城の支城のような立ち位置になったそうです。

今川義元が桶狭間の戦いで戦死し今川氏の力が弱まると徳川家康が独立し三河地方を統一します。そして再び佐脇氏の者が城主になりました。しかし最後の城主が1575年(天正三年)に起こった長篠設楽の戦いで戦死してしまうと佐脇城もそのまま廃城となったそうです。

上で書いた通り現在は宅地化されており、城の遺構などは残っておりません。ただ公園脇を流れる水路がもしかしたら堀の跡ではないかとサイトには書かれていました。確かに地図で見るとこの辺りの流路だけ不自然な形に曲がってるようにも見えますね。実際はどうなのかは分からんけどさ。そんな訳で・・・

攻略難易度★

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