畔田城に行ってきた話(城跡巡りFile.18)

三河の城

お疲れ様ですトヨクニです。今回は2016年頃に訪問した畔田城(くろだじょう)についてグ-タラと語ってみようと思う。今回から地図も追加してみようか、もしかしたらこのブログ読んで行こうとする方がいるかもしれないからね多分居ないと思うけどまぁ一応・・・

畔田城は愛知県豊橋市城下町という所にあり地図見ても分かるのだがすぐ近くは遠州灘に面しておりこの辺りは断崖になっている。畔田城は別名で「赤沢城」とも呼ばれており、築城されたのは応永年間(1394~1428年)の頃らしくこの地域の豪族であった畔田氏の居城なんだそうな。

畔田城の遠景とその入り口

この頃の畔田氏は畔田城を本拠地として現在の田原市から豊橋市南部の辺りまで勢力を伸ばしていたが文明七年(1457年)位から田原城の戸田宗光が進出してくるようになり、戸田氏に従属することになる。更に今度は駿河の今川氏が三河地方に進出してくると今度は戸田氏と共に今川氏に従うことになる。

空堀と土橋の遺構 その奥は帯曲輪か?

桶狭間の戦いで義元が死亡し、ついでに三河地方における今川氏の影響力が無くなるとどんな経緯なのかは分からないが畔田氏も没落してしまい、隣国の遠江国(現在の静岡県西部)へ落ち延びていったらしい。まぁ義元亡き後も今川氏に従ったので城を捨てたのかもしれないね、何にせよこの頃には畔田城も廃城となったと思われる。概要についてははこんな感じで

主郭跡 かなり小規模に見えるが・・・

畔田城の周辺は鬱蒼とした森に囲まれているが主郭、空堀、土橋などの遺構が比較的良好な状態で残っている。入口が分かりにくく事前にサイトで調べた方が良いだろう。豊橋市の外れにあるので車で行くしかないのだが、駐車場は無いので入り口付近に路駐させてもらうしかない。民家が何件かありそこの住人の方から声を掛けられ畔田城の事について尋ねたら路駐して行くように言われたのでお言葉に甘えさせてもらった。よそ者なんでウザがられると思っていたが有り難い事ですね。これで駐禁とか貼られたら逆に笑えるんだけどな・・・民家の庭先みたいな所を横切り薄暗い森の中を少し歩くことになるが一本道なので迷うことはないだろう。

車はここに停めさせてもらった

遠くから見る感じ城郭構造は単郭の小規模な平山城のようだ。案内板とか無いので詳しい事は分からんが主郭の南側は海に面した断崖で周辺を空堀、帯曲輪で固めたような構造になっているみたいだな。主郭跡に祠が建てられていたけど城との関連性は不明である。あとこれは嘘かホントか分かんないが現在は砂浜海岸になっている畔田城の南側にはかつて城下町というか集落が存在していたらしいよ、海に浸食されて高台になる城の北側に移ったらしいのだが・・・どうなんだろうね?そんな訳で・・・

攻略難易度★

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