竹本城に行ってきた話(城跡巡りFile.21)

三河の城

こんばんはトヨクニです。今回は2020年5月に訪問した竹本城(たけもとじょう)についてサラッと書いてみようと思うよ。この城を知ったのは俺の愛読書である「愛知の山城ベスト50」にチラッとその名前が載っており、ネットや地図で調べたら竹本城の事が書いてあったので行ってみることにした。城の所在地は愛知県豊川市御津町という所で現在は神社が建立されているね。もちろんこの時も車で訪問したが、駐車場等は無かったので路駐させてもらった。神社の裏手に道幅が広い部分があるので、そこに停めれば邪魔にはならないだろう。とりあえず地図で示すとこの辺り↓↓↓

さほど広くない神社の境内に竹本城の石碑と案内板が建てられていた。神社やその周辺に遺構らしきモノは見当たらなかったが、他の城巡りサイトの情報によるとすぐ脇を県道372号線がありそこの部分が堀の跡だとか言われている。あと周辺の土地に比べて境内の所だけが盛り上がっているような気がするが、これも城と何かしら関連性があるのだろうか。もっとも俺が訪問した時にはすぐ脇で国道23号線の造成工事が行われていたので、たまたま周辺の地面が削られて神社の部分が盛り上がっているように見えただけかもしれんが・・・もしかしたら土塁なのかもしれないね、まぁ俺の勝手な想像だから実際は何なのか分からんけどさ。

竹本城遠景

竹本城がいつ築城されたのかは分からないが境内に設置されている案内板やサイトの情報によると南北朝時代にはそれらしき居館が既に存在していたらしい。現在神社が建立されている所にその屋敷が存在していたのだろうか?現地案内板によると新田義貞の家臣で高田薩摩守という者がおり、その息子である高田政季が築城させたと記載されている。この政季は後に竹本氏と名を変えて、その後もこの地における竹本氏の支配が代々続いていたようである。そして時は流れ室町時代末期の戦乱期入るとこの地方に駿河・遠江国の戦国大名、今川家が進出してくるようになる。この頃の竹本氏は牛久保城の牧野氏に従属していたようでその牧野氏も今川家に従属していたようである。しかし永禄三年(1560年)になり今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れて戦死してしまうと今川家の勢力は急速に瓦解してしまい竹本城がある三河国の支配力も弱まってしまう。

代わりに同じく今川家に従属していた岡崎城の松平元康(徳川家康)が三河国統一を目指して台頭してくるようになる。しかし主家の牧野氏が引き続き今川家に従い竹本氏もそれに倣ったのだが、永禄六年に牧野氏が元康の軍門に降ると竹本氏もそれに従った。と同時に竹本氏によるこの地の支配も終焉を迎える事となった。因みに城を明け渡した竹本氏の一族はある者は帰農してこの地に土着したり、またある者は徳川家康に仕えたりしたと言われている。

境内の様子 ここに城があったのかね?

その後、しばらく間を置いて天正年間(1573~1592年)に入ると長沢松平氏がこの地方を治めることになり、その家臣である山田晴政という者が城主になったようだが天正一八年(1590年)に徳川家康が関東の転封されると長沢松平氏もそれに従っておりこの頃には竹本城も放棄されて廃城になったと思われる。

探索時間は約20分位かな?そんな訳で・・・

攻略難易度★

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