日近城に行ってきた話(城跡巡りFile.22)

三河の城

お疲れ様ですトヨクニです。今回は2020年4月に訪問した日近城(ひぢかじょう)について書いてみようと思う。「愛知の山城ベスト50」によると日近城は文明年間(1469~1487年)に奥平貞直によって築かせたと書かれている。

現地の案内板には貞直の父、貞昌が文明十年(1478年)頃にこの日近付近を征服したと記載されていたので、恐らくはそれ以降に築かせたのだろうね。しかし貞直は諸事情により本家筋で兄でもある奥平貞勝によって城を乗っ取られてしまい貞直も追放されてついでにその息子も殺害されてしまった。その後も奥平氏の支配が続いていたが、天正十八年(1590年)に主家の徳川家康が関東へ転封されると奥平氏もそれに従ったため城は放棄されそのまま廃城となったようだ。現在は曲輪、土塁、虎口、堀切などの遺構が残っている。

日近城遠景

所在地は岡崎市のかなり山奥の方で途中でバス停もあったので一応は公共交通機関でも行けそうだが、場所を考えると車で訪問した方が無難だと思われる。日近城のすぐ南側にある「日近の里駐車場」に車を停めさせてもらい、そこから登山口に入るのだが入り口が二箇所あり直登ル-トと比較的傾斜の緩い大廻りル-トがある。

もちろんどちらからでも城に行けるのだが初めて訪問する人は大廻りル-トを使った方が良いと思う。俺は直登ル-トで城を目指したのだが途中で道に迷ってしまい城の裏手にある山道に入ってしまった。分岐が分かりにくいので初見さんは間違えやすいかも知れない。あるいは俺が極度の方向音痴だからか・・・

約一時間程無駄に歩き回ってしまい、若干ヘトヘトになって城跡に到着した。なんだ・・・分岐からすぐの所に城跡はあったよ、てか途中にあったあの公衆トイレって何のためにあるんだ?山道からも城跡からも少し離れた位置にあるしさ・・・なんであんな微妙な場所に設置するのかねぇ?ちょっと意味が分からんな

そんな訳で探索を開始したが、城の規模はそれ程大きくないので約一時間くらいで全てを見終えた。主郭部分から帯曲輪、堀切、裏手にある大土塁、二の丸、三の丸の順番に見ていった。各遺構は比較的良好な状態で残っており、それぞれに看板も建てられているので探索しやすかったと思う。

おふうの墓

日近城が築城された当時は主郭と二の丸三の丸のみで構成されていたが後になってから帯曲輪、堀切、大土塁などがオプションで追加されたらしいな。あと登山口のある麓には武田氏に人質として出され後に奥田氏が背いたため処刑されてしまった「おふう」の墓がある。確か横山光輝の漫画でその処刑シ-ンがあったような気がする。そんな訳で・・・

攻略難易度★★

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