ど-もこんちゃノラネコです。今回は2024年2月頃に訪問した形原(かたはら)城について書いてみようと思う。城の所在地は愛知県蒲郡市形原町という所に在り、地図で示すとこの辺りになる↓↓↓
現地案内板によると、形原城が築城されたのは平安時代末期とされているがこの辺りの話は伝説の域みたいである。もう一つは長享年間(1487~1489)頃に松平与福という者がこの土地に移り住み、この形原城を築城させたという。与福は形原松平家と呼ばれ、子孫もこの城に居住していた。
駿河の今川氏がこの辺りに勢力を伸ばしてくると、近隣の豪族達と同様に形原松平家も当初は今川氏に従属していたが、1560年(永禄三年)に桶狭間の戦いによって今川義元が戦死すると徳川家康が独立、そして形原松平家も今川方から離反し今度は家康に従うことになる。
この時の城主は松平家広という者だったが、人質として妻子を今川氏に預けていたため裏切りの報復として形原城下にて今川氏真の命令によって処刑されている、しかも串刺しの刑で・・・まぁ見せしめというヤツですな。軟弱なイメージのある氏真だが、中々に結構エグイ事しやがるねぇ
その後も家康に従っていた形原松平家であったが、1590年(天正十八年)に豊臣秀吉の命によって家康が関東に飛ばされると、この時の当主であった松平家信もそれに従い形原城から去ることになった。
しかし1600年(慶長五年)に行われた関ヶ原の戦いの後に家信は形原藩主として再び形原城に戻ることになった。その後、1619年(元和五年)に家信は高槻城に異動となり、形原城もそのまま廃城となってしまったそうだ。とりあえず写真適当に貼ってく↓↓↓
ということでさ、行って来たんだよ形原城に・・・駐車場は無いんで入り口付近の少し広めの路地に停めさせてもらった。この辺りの道路はアップダウンが多くしかも狭いので、軽自動車でないと苦労するかもしれない。
現在は曲輪の一部が残るのみで、そこにお稲荷様が建立されている。祠の脇に写真の石碑や案内板が立っていた。地図で見ると少し内陸のように見えるが城が健在だったころは三方を海に囲まれた所謂「海城」だったようだ。
少し小高い丘の所にあるので、渥美湾や蒲郡の街並みなどを見渡せる。wikiに形原城の遠景写真が載っていたが、これを見るとその当時は自然の要害に囲まれた堅牢な城郭だったんだなぁと感じるね。そんな訳で・・・
攻略難易度★
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_