こんばんはトヨクニです。今回は愛知県愛知郡東郷町に存在していたと言われる「諸輪の4城」について書いてみようと思う。この呼び名は俺が勝手に付けた名前で正確に言うと「諸輪北城」「諸輪中城」「諸輪下城」「諸輪南城」と呼ばれている。どの城も遺構などが無く、情報も少ない上に地図見ても分かるように所在地が密集しているので今回はここに4城まとめて書くことにした。
諸輪北城
岩崎城主であった丹羽氏識が隠居後に移り住んだ城と言われている。他のサイトで1584年(天正一二年)に築城されたと書いてあったが、氏識は1565年(永禄八年)に亡くなっているのでもしかしたら廃城年なのかもしれない。
現在は「上城保育園」が建っており城郭の遺構は残っていない。ただ保育園の東側が数メートル位の段差になっているので何となくここに城が存在していたのだろうなと思わせる。
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諸輪中城
この諸輪中城を築城したのも丹羽氏識と言われている。この近くに「清安寺」という寺があるのだが、こちらを建立したのも氏識なんだとか。氏識が亡くなってからその孫である丹羽氏重も一時この城に居住していた後、岩崎城に入った。そして運命の岩崎城の戦いを迎える・・・
遺構は見当たらず周辺の地形から平城だと思われるくらいか。写っている駐車場辺りに城が存在していたと言われているが?駐車場脇に小さな祠があったが何か関係あるんかね?
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諸輪南城
諸輪南城は1583年(天正一一年)に「柘植道昌」によって築かれたと言われている。柘植道昌という者についてはよく分からないが、この地域の土豪のようで後に真野氏に姓を改めこの地に帰農し諸輪村の庄屋になったそうだ。子孫は今もこの辺りに暮らしているのだろうか?
城の所在地は現在建っている「尾三消防本部」の南側辺りになる。70m四方の城郭だったと言われている。周辺は田畑でこちらも遺構は残っていないが昭和39年に土地改良工事が始まるまでは土塁の遺構が残っていたらしい。ここも上の二つの城と同様に一色丹羽氏の支配下にあると思っていたが関係ないのかな?時期的に見ても何かしら関わりはあると思うのだが・・・
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諸輪下城
諸輪下城については全く情報がない。他のサイトによるとこの城は諸輪南城と同一ではないかと言われている。現在は宅地化されており、もちろん遺構は存在しない。城跡の東側に児童公園がありそこに大きな石灯篭があったが何か関係あるんかね?たぶんないんだろうな・・・てか古い文献のどこかにその記述とかあったのかね?謎である
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_