沓掛城へ行ってきた話(城跡巡りFile.01)

尾張の城

城址巡り関連のブログは別の所で前にも書いていたのだが、こちらでも書いてみようかと思う。今回ここで書く沓掛城というのは愛知県豊明市に存在していた城郭で日本全国に無数に存在している城の中でも割と有名な部類に入るのではないだろうか?どういう意味で有名かと言うと、室町時代に駿河・遠江(現在の静岡県)を支配していた大名・今川義元が尾張国(現在の愛知県西部)へ侵攻した際に「桶狭間の戦い」で戦死してしまったのだが、その戦いの前日に泊まったのがこの沓掛城なのだ。

空堀内を散策

義元は沓掛城から味方の部隊が駐留する大高城(愛知県名古屋市)へ向かう途中にある桶狭間という場所で織田信長の奇襲攻撃を喰らってしまい落命してしまったのだ。因みにその当時大高城の部隊を仕切っていたのは松平元康(後の徳川家康)である。元康はこの当時、今川家に従属していたのだがこの戦いの後に独立することになる。

主郭部分

さてこの沓掛城が現在はどうなっているのかだが、今は沓掛城址公園として整備されており遺構類なども残されているので当時の城郭構造も何となく分かる感じだ。流石に建物類は残っていないが、主郭部分とそれを取り囲むような空堀などが比較的良好な状態で残っている。主郭に隣接する曲輪跡も確認できる。印象に残ったのは空堀部分で城の規模はそれほど大きくないと思うのだが、堀の深さと幅広さには驚いてしまった。あと主郭部分に井戸の跡のようなモノがあったのだが、あれも当時から存在しているのだろうか?桶狭間の戦い以前は今川家が支配していたのだが、義元の戦死後に織田家の反撃が始まりこの沓掛城も奪回されている。その後も城は存続していたらしいが1600年に発生した関ヶ原の戦いの際に当時の城主が西軍側に付いて戦いに敗れてしまい、城は没収されてそのまま廃城となったようだ。

曲輪跡

沓掛城は豊明市の外れの方にあり専用駐車場もあるので車で行くのがオススメなのだが近くにバス停留所もあったので公共交通機関でもここに来れるとは思う。因みに駐車場になっている場所には侍屋敷があったらしい。今でいうと兵舎みたいなものだろうか?バスは名鉄名古屋本線にある「前後駅」辺りから来てるんじゃないかな?知らんけど・・・てかこのブログをみて沓掛城に行ってみようと思う人がいるのだろうか?あと俺がここに訪問したのは三年程前なので今は状況が変わっているのかも知れん。

こんな感じで今回は沓掛城について書いてみたのだが、ただここに行ってきたという感じで内容は薄っぺらいが俺は城についてそんなに造詣が深いわけじゃないからな。たまたまとあるゲームでこの城の存在を知り、当時近くに住んでいたのでちょっと覗いただけだ。歴史もそんなに詳しいわけじゃないし、戦国武将についても超有名人以外はあまりよく分からないのだよね。とにかく俺がこんな城に行ったという記録簿みたいなのを作りたかったのさ。まぁこんなもんよ

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