今回は愛知県豊明市にある大脇城についてグダグダと語ってみようと思う。大脇城の所在地は愛知県豊明市栄町梶田という所に存在していたと言われている。現在は交通機動隊の事務所があり、その敷地内に大脇城に関する案内板と石碑が建立されている。敷地内と言っても歩道沿いの柵の外側にあるので敷地内に入らなくとも外から見ることができる。案内板によると梶川秀盛という武将の城(又は侍屋敷)だったようで、織田信長とその息子である信雄に仕えていたらしい。その後は池田輝政にも従っていたらしいが、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参戦するも戦死してしまったようだ。
案内板に書かれているのはこれだけで城郭構造については一切触れられていないし、遺構類なども一切残っていない。ただこのすぐ近くを走る伊勢湾岸自動車道の造成工事前に発掘調査が行われたらしく、城関連の出土品がいくつか見つかったようだ。まぁ周辺の地形を鑑みるに恐らくは平城だと思われるが、案内板にも書かれている通り屋敷なのかもしれない。この辺りは昔でいう尾張国と三河国の境になるので桶狭間の戦いの頃までは織田・今川の最前線になると思うので、そのころに城が存在していたとすれば何らかの戦闘に巻き込まれても不思議じゃないのだがそんな記録はないみたい。何で大脇城が築城されたのは今川の勢力が駆逐された後なんだろうか?そう言えば案内板にも秀盛は横根(現・愛知県大府市)の出身とか書いてあったので、何かの戦功で信長からこの地を与えられその時に築いたのかも知れないね。そして朝鮮出兵で戦死して秀盛の家系は断絶、ついでに居城も廃城になったという流れだろうか?まぁ俺の勝手気ままな予想なんだけどさ・・・
ここへ訪問したのは3年位前、前に書いた沓掛城に行ったついでに来たような気がする。沓掛城址公園から車で約15分位の距離だろうか?県道57号に出てそれを豊明インタ-方面に南下して行けばたどり着く。駐車場等は無いので路駐したが、この辺りは交通量も少なく駐車しても特に迷惑にはならないだろう。上で書いた通り、遺構類などは存在せず石碑と案内板のみというちょっと寂しい限りだが、これらがあるだけまだマシだろう。城跡によっては遺構はおろか石碑すら無いのもザラだからなぁ。特に現在は住宅地として整備されている城跡なんかはそんな感じだね。一応、周辺をフラフラと散策してみたのだがやっぱり遺構類などは見当たらなかったね。それとこれは後で分かったのだが、城が存在していたのは石碑の立っている交通機動隊の敷地内ではなく豊明インタ-の辺りになるらしい。どっちにしろそこには巨大なコンクリート施設が建っているので今更調べようがないんだけどな。重要なのは俺がそこに行ったかどうかさ
ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_