今回は愛知県稲沢市にある勝幡城(しょばたじょう)についてのほほんと語ってみようと思う。勝幡城の所在地は愛知県稲沢市平和町城ノ内という所にあり地図上で見ると日光川と三宅川に挟まれた場所に城は存在していたようだ。俺がここに訪問したは3、4年位前だったと思うけどね、真相は分からんがここ最近になってから織田信長が生誕したのがこの勝幡城だと言われているね。ちょっと前までは那古野城(現在の名古屋城)が生誕地だと言われてたんだよな。勝幡城が築城されたのは永正年間(1504年~1521年)の頃に織田信定(信長の爺さん)によって築かせたとwikiの方には書かれている、元々別の有力者の屋敷があったらしいのだが、信定がこの地域を支配するようになるとそれを接収したのかどうかは知らないが堀などを構えた城郭に作り替えたのだそうな。
城郭構造は二重の堀に守られた平城で、この近くを流れる三宅川も天然の水堀として利用していたと言われている。信定とその息子である織田信秀(信長の父)の時までこの城を拠点に活動していたようだが、天文元年(1532年)に信秀が那古野城を強奪すると今度はそこを本拠地としたので、勝幡城は家臣の武藤掃部という者が城代を勤める事になった。因みに那古野城を強奪されたのは今川氏豊という武将であの今川義元の兄貴に当たるらしいよ。その後は織田信長が家督を継ぎ、本拠地を清須城に移した頃になって城代だった武藤掃部に異動命令が出たようで、その後の勝幡城がどうなったかは分からないが城主を任命して無いようなのでそのまま放棄されて廃城になったと思われる。
今回も車で訪問したが周辺に駐車場などは無いので路駐させてもらった。道幅が広いので邪魔になることはないだろう。周辺は平野で宅地化されており城郭があった痕跡はなさそう・・・現地を散策してみたのだが勝幡城の遺構類などは一切残っておらず、とある空き地の一角に大きな石碑と案内板が建っているのみである、石碑の隣にお供え物のようなモノがあるがここは私有地なのだろうか?というか近くを流れる日光川が江戸時代に入ってから流れが変わったらしく、今現在流れている部分に城があったのだとか。遺構は見当たらないが昭和時代に発掘調査みたいなのは行われていたらしく、その時に建物の基石が見つかったようだ。あと写真の石碑にある場所以外にも別の勝幡城関連の石碑があるらしいが、それを知ったのはかなり後の事だったので最近になってグ-グルマップで調べてみたのだが、初代城主である織田信定関連のモノだった。まぁどっちにしろわざわざ訪問してまで見に行く代物でもないと思うので、俺がここへ行くことはもうないだろう。
ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_