寺部城に行ってきた話

三河の城

今回は寺部城(てらべじょう)とその支城と思われる磯城(いそじょう)について色々と語ってみようと思う。寺部城は愛知県西尾市寺部町という所にありすぐ近くは三河湾に面している。築城時期については不明だが、一説によると永正十一年(1514年)に小笠原定正という者が当時城主を勤めていた早川三朗という者を追い出して城を強奪したらしい。その後も小笠原氏の支配が続いたようで駿河の今川氏が三河地方に進出してくるとそれに従ったようだが、桶狭間の戦いで今川義元が戦死して今川氏真が跡を継ぐと当時小笠原家の当主であった広重は本多忠勝の説得などもあってか今川氏を見限り徳川家康に仕えるようになる。

郭を囲む空堀跡

家康が三河地方を統一するまで寺部城周辺でも争乱があったと思われるのだが、1560年前後に家康(義元の配下だった頃か?)が攻め込んで来た以外で特に戦闘に巻き込まれた記録とかは無いようだ。その後も小笠原氏は一貫して徳川家に仕えていたが、家康が天正一八年(1590年)に関東地方に転封されると小笠原氏もそれに従ったようで城は放棄された。その後は誰も入ることもなくそのまま廃城となったようだ。寺部城についての概要はこんなとこか?

主郭部分

現在は「寺部城址」と呼ばれており町の指定文化財になっている。今回も自家用車で訪問したのだが専用駐車場は無く周辺道路も狭いので道路を挟んだ向かいにある「西尾市立幡豆図書館」の駐車場に停めさせてもらった。

案内板

海岸近くの標高30M程の丘陵上に寺部城址がある。曲輪、土塁、郭、空堀跡などが残されていたが丘陵の一部は私有地になるので散策には注意が必要だ。まぁ明確に区切られているので迷い込むことは無いと思うが・・・かつては空堀跡と思われる散策路を通り主郭へ向かう。主郭部分には碑や案内板なども設置されており、そこからの三河湾の眺めは中々のモノである。因みに小笠原諸島を発見したのもこの小笠原一族の者なんだってさ。

寺部城の攻略難易度★

主郭から三河湾をながめる

次は磯城なんだけど別名で「欠城」とも呼ばれているのだが、遺構などは残っていないので城郭構造についての詳しい事はよく分からないが武家屋敷みたなかんじだろうか?磯城の所在地は寺部城より西へ700Mぐらいの位置にある「中之郷古墳」の辺りだと言われている。著名な城主は小笠原安元という者で寺部城の小笠原氏と同族だと思われる。彼も最初は今川氏に仕えていたが後に徳川家に鞍替えしている。寺部城を散策した後に訪問してみたが現在は宅地化されており遺構類はやっぱり何も無かったね。

磯城の攻略難易度★

中之郷古墳 この近くに欠城があった

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