こんばんはです。今回は室城(むろじょう)についてつらつらと語ってみようと思う。ここへ訪問したのは去年の9月辺りだろうか?場所は愛知県西尾市室町に存在していたと言われる平山城である。標高20m位の丘陵上にあり、現在は寺社や霊園になっているが遺構の一部は残っている。
車で訪問する場合は神社の駐車場を使わせてもらうと良いと思う。室城は永正年間(1504年~1521年)頃に富永祐玉という者が築城させたと言われる。富永氏は前回書いた東条城主、吉良氏の家臣でこの室城も東条城の支城として築かれたようだ。天文五年(1536年)9月にはその当時お家騒動が原因で流浪の身であった松平広忠(家康の父)がこの室城に退避していたようだ。
これは富永氏が松平氏と縁戚関係だったために広忠を支援したのだろう。あとこれは嘘かホントか分からんが室城に逃げ込んだ広忠を追って尾張国の織田信定(信長の祖父)がこの城を攻撃したらしい、広忠は危うく難を逃れたがその時に室町は焼け落ちてしまったとの事だがその後も富永氏の支配は続いた。
駿河の今川義元が三河地方に進出してくると主家である吉良氏は義元の圧迫に屈して従属したため富永氏もそれに倣ったが永禄三年(1560年)に桶狭間の戦いで義元が討たれると今度は徳川家康が台頭してくるようになる。家康の侵攻に吉良氏は抵抗し、当時室城の城主であった富永忠元も吉良軍を率いて徳川軍と戦って何度か撃退するものの永禄四年(1561年)9月に「藤波畷の戦い」に敗れてついに忠元は戦死してしまう。この敗戦にショックを受けた吉良氏は降伏してしまい東条城は落城する。この時の室城の詳細は良く分からんが、忠元が戦死後には廃城となったようだ。室城の概要についてはこんな感じでok?
そんな訳で室城址を散策してみたのだが、支城ということもありそんなにおおきな城郭ではないから一時間位で探索はできた。神社の駐車場に停めさせてもらってすぐ隣に主郭部分へ向かう階段があるのでそれを上ると霊園に出る。そこが主郭跡になり中央付近に大きな窪みがあるのだが、そこが井戸の跡と言われている。ついでに霊園を囲むような土塁の跡も確認できた。階段上る途中にも堀切の跡があるらしいのだが、これについてどの部分を指しているのかは分からなかった。
主郭のすぐ南側に「林松時」という寺があるのだが、書籍によるとここは城主だった富永氏の屋敷があったのではないかとか書かれていたけどね。あと北側の方には用水路のような川が流れていたのだが、ここは水堀の跡なんだそうな。
神社があった場所にはかつては米蔵があったといわれ、ちょうど駐車場辺りが大手門だとも言われている。松平広忠がこの城に逃げ込んだ時にこの神社を崇敬したと書籍には書かれていたが当時からこの神社も存在していたという事だろうか?その絡みかどうかは分からんが現在建っている神社の屋根瓦に徳川家の象徴でもある葵の御紋が描かれていたよ。
あと神社の境内でちょっと気になる光景を見たのだが・・・またそれについては今度書いて見ることにしようか、城巡りとは関係ないしな。そんな訳で・・・
攻略難易度★
ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_