上之郷城に行ってきた話(城跡巡りFile.25)

三河の城

こんばんはトヨクニです。今回は2020年2月に訪問した上之郷城について書いてみようと思う。今回も車で訪問したが城のすぐ近くに神社があり、城の見学用に使用しても良いとのことなんでそこの駐車場に停めさせてもらった。そこから徒歩数分くらいで城まで行ける。

蒲郡市の中心部より少し北の所に上之郷城は存在する。公共交通機関ならJR蒲郡駅が最寄になるのだろうか?地図見ると分かるが城を囲むように川(落合川)が流れており、もしかしたら天然の水堀として機能していたのかも知れない。

上之郷城遠景 赤日子神社駐車場から撮影

上之郷城がいつ誰によって築城されたのかは分からない。15世紀半ば頃より鵜殿氏が支配するようになり、それは1562年(永禄五年)に徳川家康によって攻め落とされるまで続いた。この時の城攻めでは忍者が活躍したんだそうな。今でいう破壊工作員みたいな奴か?この時に当時城主であった鵜殿長照は戦死し、その息子二人も捕らえられ後に今川家に人質にされていた家康の親族との交換材料にされた。

その後は家康の家臣であった久松俊勝が城主となり、俊勝亡き後はその息子である松平康元(家康の異父弟)が相続するが、1590年(天正一八年)に家康が関東に転封されると康元もそれに従い城を去ることになる。その後、三河地方を支配したのは池田輝政で上之郷城も領有することになったが使われることもなくそのまま廃城となったようだ。

現在は土塁の一部、郭、曲輪などが良好な状態で遺されていた。wikiの情報では井戸跡もあるそうなんだが訪問した時には確認できなかった。城の南側にある土塁はかなりの大きさでこれ見ただけで堅牢な城郭だったことが伺える。土塁と主郭の間にはこれまた大きめの空堀がある。書籍「愛知の山城ベスト50」によるとこの空堀は曲輪の一部なのかも・・・ってなこと書かれていたが実際に見てみるとそんな感じにもみえるような気がする。

土塁と主郭の間にある空堀又は曲輪か?

土塁の合間にある通路から空堀に入り、さらに進んでゆくと城の東側を守る曲輪跡が確認できた。それを横目に階段を上ると主郭に入れる。途中に石垣みたいなのが確認できたが当時のモノではないようだ。主郭内には上之郷城を巡る戦いについて書かれた案内板があるだけで特に何もない。ただ主郭内で何度か発掘調査が行われ、当時のモノと思われる様々な出土品が出たそうな。その辺りは駐車場の案内板に詳しく書かれていた。主郭の北側にも通路があったが、その先は蜜柑畑や宅地になっているので無暗に立ち入らない方が良さそうと思い引き返した。

あと気になるところで城と川の間に「城池」という天然なのか人工池か地図で見ると水堀のような部分があったが城郭側からでは木々に阻まれて確認できなかった。でもどうしても気になってしょうがなかったので、城を出た後に悪い思いつつも東側の畑(私有地)を通って確認してみたが、池があったと思われる部分に水はなく窪地でその中は竹藪で覆われていた。

主郭から蒲郡市内を眺める

それと伊奈城のとこでも書いたことあったが、土塁の上に石碑が建てられていたが何でこんな不安定な場所に設置するのかねぇ?こんなモノ主郭内に設置すれば良いのにさ地震とか来たら危ないと思うのだが?対策はしてあると思うのだけどさ、とりあえずそんな訳で・・・

攻略難易度★

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