竹谷城に行ってきた話(城跡巡りFile.27)

三河の城

お疲れ様ですトヨクニです。今回は2020年2月に訪問した竹谷城(たけのやじょう)について書いてみようと思う。この城も「愛知の山城ベスト50」に記載されている城郭の一つである。地図で見ると蒲郡市内の割と中心に存在する城郭だと思っていたので攻略は容易だと思われたのだが・・・車を停める場所が無かった上に城に入る進入口が分からず少々手こずってしまった

「愛知の山城ベスト50」 によると竹谷城が築城されたのは一六世紀初頭で築城主は竹谷松平氏と言われている。竹谷松平氏は、松平信光の長男の松平守家を祖とする松平氏の分家で三河国宝飯郡竹谷(現在の愛知県蒲郡市竹谷町)を領したことから竹谷松平家と称した。歴代当主は一貫して本家松平氏そして後の徳川氏に従軍した。

竹谷城遠景 山城と呼ぶには無理があるな

竹谷城を巡る歴史はあまりよく分からないが初代当主の守家がこの付近の土地を買ったと言われておるので築城主は守家になるのだろうか?その後も他者の手にわたる事なく竹谷松平氏の居城として機能し続け、1590年(天正一八年)家康が関東に転封されると竹谷松平氏もそれに従い、その頃に竹谷城も放棄されそのまま廃城になったと思われる。

竹谷城は見つけるのは簡単だったが駐車場は無く周辺道路も狭いので、城から少し東に道幅の広い路地があったのでそこに駐車させてもらった。所在地は分かったのだが周りが宅地に囲まれているため最初は進入口が何処になるのか分からず周辺をかなり歩き回ってしまった。北側の虎口部分はすぐに発見できたのだが、明らかに私有地みたいな雰囲気だったのでここから入るのは遠慮することにした。

しばらく進むと石碑が出迎えてくれる

書籍の平面図をみると主郭の南東部に虎口のような入口が記載されていたため、その辺りを散策してみると民家の庭と庭の間に細いが舗装された通路があり、注意深く先を観察すると城跡入口を示す立て看板があった。こんなの初見じゃ絶対に見逃すと思うぜ・・・

南側にある空堀らしき窪み

気を取り直して南東の虎口跡から進入すると主郭内に入れる。主郭は長方形の形で南側に年季の入った石碑と空堀跡と思われる窪んだ部分が確認された。かつてはさらにその南側に曲輪跡もあったそうだが現在は宅地や太陽光発電用のパネルが設置されており、それらしき痕跡は見当たらなかった。

主郭の北側部分にはミカンの木が植えられていた。蒲郡といえばミカンを連想するよなぁ・・・てかこの部分は私有地になるのだろうか?ミカン畑を突っ切りさらに北側に進んでゆくと先程確認した北側虎口に出る。主郭の北西部が少し盛り上がっているが、ここの部分がおそらくは土塁なんだと思う。北側虎口から外に出て横から土塁部分を眺めたが、周辺の地形と比べて主郭部分がなんとなく不自然に盛り上がっている感じがするね。元々このような地形なんだろうか?それとも堀跡を宅地用に削ってこうなったのかな?そんな訳で・・・

攻略難易度★★

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