おはようございますトヨクニです。今回は愛知県豊川市長沢町に存在していたとされる長沢城(ながさわじょう)について書いてみようと思いますよ。こちらに訪問したのは2021年6月でつい先週の話です。遺構類が残っていないため城が在った正確な場所は分かりませんが地図で示すとこの辺りになるそうです↓↓↓
別名「長沢古城」とも呼ばれている長沢城がいつ頃に築城されたのかは不明です。サイトや書籍からの情報によりますと室町時代初期には存在していたそうで、その頃は駿河の今川氏の家臣である関口氏が支配していたそうです。その後も関口氏が城代を勤めていたそうですが、1458年(長禄二年)に岩津城を拠点にしていた松平信光という者が長沢城(一説には岩略寺城とも)を襲撃してこれを奪ったようです。信光は息子の親則を城主に据えて以後は長沢松平氏と呼ばれるようになります。以降も長沢松平氏の支配が続きその間に拡張工事も行われ最終的には三重の堀に囲まれた城郭に変貌したそうです。その後どうなったかは不明ですが1590年(天正十八年)の小田原の役の際には豊臣秀長(秀吉の弟)が入城したという記録があるので、その頃までは健在だったみたいですな。たぶん家康が関東に転封された頃に廃城になったと思うのですが・・・現在は遺構類などは残っておらず石碑や案内板が立っているのみである。
案内板は「長沢小学校」の南側辺りにそして石碑は二カ所ありまして国道一号線沿いから見えるのと、住宅地に埋もれているように建っているのがあります↓↓↓
城が在った場所には国道1号線が貫くように走っており探索する場所は南北に分断されているような感じになっています。北側は住宅地で道が狭いので小学校の隣にある公民館の駐車場に車を停めさせてもらいました。遺構類は残ってないとの事でしたが公民館の北側に観音堂があり、そこには親則が城内に御堂を建てさせた際に作られたであろう観音像が祀られているようです。
あと北側の石碑傍にもコンクリートで固められた井戸跡なんかもありました。場所はすぐに分かったのですが国道を渡るために少し歩く羽目になったので探索は地味に面倒でしたね。あともう一つの石碑を探し出すのにも少し時間を取られました。何でこんな所に?というような場所にありましたがかなり年代物の石碑のようで、俺の勝手な想像ですがコレが建てられた後に周りが宅地化されてこのような形になったのでしょうね。探索には一時間弱かかりましたかね?そんな訳で・・・
攻略難易度★★
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ノラネコと申します。色々と思うところがありましてこのようなブログを始めてみました。学がないので稚拙な文章ではありますが、内容が伝わってくれれば幸いです_(._.)_
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