欠城に行ってきた話

三河の城

ど-もトヨクニです。今回は2020年3月に訪問した欠城(かけじょう)について書いてみようと思う。因みにこれが正しい読み方なのかどうかは分からん。岡崎の方に欠町(かけまち)という地名があったので多分この呼び方じゃないのかな?と思っただけ(適当)

前回書いた寺部城に設置されていた案内板にこの城の名前があり近くにあるようなんだが、この時はイマイチよく分からなかったので家に戻って一度詳しく事前調査してから再訪することにした。

この辺りに存在していたらしい

別名「幡豆城」または「磯城」とも呼ばれている。築城年、築城主共に不明であるが寺部城と同様に幡豆小笠原氏が支配していたようだ。立ち位置で考えると寺部城の支城のような感じなんだろうか?あるいは小笠原一族の住む館だったのかも・・・

そんな訳で他の詳細は一切分からないが、別の方が運営している城サイト情報によると寺部城の近くに「安泰寺」という幡豆小笠原氏の菩提寺があるのだがそこにある過去帳に欠城の記述が僅かながらあるそうなんだが・・・何にせよ幡豆小笠原氏の城なんで廃城になったのも寺部城と同じ時期(江戸時代?)だと思うのだけどね。また発掘調査とか行われれば新しい事も分かるかも知れないが現時点ではその可能性はほぼゼロなんだろうな、そこまで歴史的に重要な城とも思えんし

そんな感じなんで当然のことながら欠城の遺構類は一切残っておらず正確な所在地もよく分からない。寺部城の案内板に「ココから西へ800Mの辺りに存在していた」とかウェブ上では穴観音の南西の辺りだとかそんな曖昧な情報である。色々な方法で検索してみたのだがやはりハッキリとした情報は得られることは出来なかったよ

一応、その辺りを散策してみたものの周辺は宅地化されており、城の痕跡は全く残っていなかった。周辺の地形を鑑みるに恐らくは平城と思われるが・・・穴観音の裏手に「中之郷古墳」という遺跡があり、そこに石垣でできた丘があったがこれも関係ないようだ。今では祠とか建てられて祀られているような感じだが、城が存在していた当時はどんな扱いだったのだろうか?

この後「安泰寺」に行ってきてそこの写真を撮って探索は終了した。安泰寺の駐車場に植えられた満開の桜が綺麗だった。花見の季節で時期的にも城巡りするには一番良い季節なんだがコロナウィルスの影響で行動が制限されてしまっている。でもあまり人気のない山城ならあまり関係ないのかな? 休日にわざわざこんな無名に近い城郭に訪問する人なんかいないだろ、そんな訳で・・・

攻略難易度★

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