大崎城に行ってきた話

OSSANのボヤキ

こんにちはトヨクニです。今回は2016年頃に訪問した大崎城について書いてみようと思うよ、場所は愛知県豊橋市舟渡町という所で地図で見るとすぐ近くは三河湾に面しており、かつては海沿いにあった城なんだろう。

大崎城は室町時代中期にこの辺り一帯を根城にしていた戸田氏によって築かれた。以前にも書いたが戸田氏は田原城を本拠地にしていたが、ここから東にある吉田城(当時は今橋城と呼ばれた)に対抗するために築かれたそうである。

車は龍源院の駐車場に停めさせてもらった

その後、東からのビッグインパクトである今川氏が侵攻してくると戸田氏は滅ぼされてしまい、本拠地であった田原城と共に大崎城も落とされ廃城となる。

そしてそのまま使われる事もなく荒廃していったが、時が流れて1601年(慶長六年)になると徳川家の旗本であった中島重好という者がこの城跡に陣屋を置きそのまま明治時代になるまで使われることになった。現在は「龍源院」という寺が建っているのだが、その脇に主郭とそれを繋ぐ土橋や曲輪、そしてそれらを囲む大堀切の一部が遺構として残されている。

この奥に土橋と主郭があるみたいだが雑木林に覆われていて進入は困難

現地までは車で行ったのだが専用の駐車場は無いので龍源院の駐車場に停めさせてもらうか、川沿いの道路に路駐するしかない。そんなに大きな城跡ではないがどちらに停めたとしても現地まで行くには回り道を使わないといけないので少し歩くことになる。

主郭の隣にある神明神社 この辺りは曲輪だろうか?

俺がここに行ったのは初夏の頃だったと思うが土橋や主郭部分は雑草や竹藪に覆われておりとても中に踏み込める状態ではなかった。案内板も立てられていたが雑草で隠れていたので最初は分からなかったよ。他のサイト情報によると主郭部分に土塁の遺構なんかもあるらしいぜ、画像見る限りこの当時は土橋付近の竹藪などもそこまで酷くなく、割と簡単に主郭まで行けそうな感じに見えた。

この城の目玉である大堀切は一部ではあるが比較的良好な状態で残されており、こちらは川沿いの方から中に入ることが出来る。堀切の中を歩いてみたがコチラも雑草や竹藪が生い茂っており、探索は困難を極めたものの何とか奥まで進むことが出来た。

城の規模を考えればかなりの大きさのように思えるね、城が健在だった頃はこの辺りまで海岸線が広がっていたそうなので、以前に書いた寺部城と同様に防衛施設としての機能ではなく海運基地の役割なんかもあったのかも知れないね。一旦は廃城になっているがその後に陣屋として使われてるしな、当時としてはそれなりに立地条件が良かったという事なんだろうか?俺の勝手な推測なんだけどさ。

ついでに龍源院にも行ってみたが特に遺構らしきモノは見当たらなかった、大崎城の構造が分からないのでなんとも言えないがこの辺りは曲輪になるのだろうかね?入口付近に碑が立っており横に城に関する事が書かれていた。

住宅地にあるし探索しやすいと思っていたが、結構歩き回り予想以上に時間が掛かってしまったよ。そんな訳で…

攻略難易度★★

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